コラム(中小企業庁メールマガジンより抜粋)

     
     目次 
       
11/27号「荒廃農地再生に新たなビジネスモデル提起」
11/20号「伝統産業の存続に新サービスの力」
11/13号「愛娘を心の支えに」
11/6号「沖縄のソウルフード《てんぷら粉》が商機を生む」
10/30号「DXの目的と手段」
10/23号「震災前よりすばらしい、すみやすい浪江に」
10/16号「ロボットの技術が食産業を変革する」
10/9号「変わる?女性経営者像」
10/2号「猛暑に負けない卒業生たちの熱い思い」
9/25号「角膜再生医療の確立に挑む」
9/18号「町の文具店ガエアンターテイメントの場に」
9/11号「ネーミングもおいしそうな”食べる磯焼け対策”」
9/4号「南の島のファーストペンギン 宮古島商工会議所」
8/28号「万博をきっかけに成長する中小企業」
8/21号「運送ドライバーと競技の両立で目指すはロス五輪」
8/14号「事業承継、気持ちの整理をつける場に」
8/7号「鹿も応援? 奈良で新しい解体業に挑戦」
7/24号「宮島だけではない魅力を発信」
7/17号「人と地域に寄り添う経営で人手不足宇を乗り越える」
7/10号「よろず支援拠点の”ヘビーユーザー”」
7/3号「126の”イズム”で経営の高みを目指す」
6/26号「捨てないアパレルがファッショントレンドに」
6/19号「4番目の”B”が”3K”を変える?」
6/12号「バナナから生まれた”紙”が貧困をなくす」
6/5号「世界のコーヒー取引に一石」
5/29号「スポーツクライミングでWISEに」
5/22号「全国の後継者たちが熱いプレゼン:アドツギ甲子園」
5/15号「恐竜の町で自社ブランド開発に挑戦」
5/1号「津波被災者が強調 ”頑張りすぎないことが大事”」
4/24号「DXでドライバーの働き方を改革」
4/17号「忍者のまちを盛り上げる女子サッカーチーム」
4/10号「日本人の美徳で改良した 飲むあんこ」
4/3号「宇宙に羽ばたく《太陽の顔》の技術」
3/27号「東北に春を呼ぶ 東北福興弁当」
3/19号「シドニー五輪以来、日本代表を陰で支える物理療法機器」
3/13号「逆境をバネにする経営力」
3/6号「アトツギの悩みを共有できるのは」
2/28号「コンビニより多い歯科医院、HP制作とDXで力に」
2/21号「酒蔵が培った、社員ファーストの精神」
2/14号「アジフライの聖地で事業をステップアップ」
2/7号「営業活動なしで大学シェアトップに、決め手は人柄の良さ」
1/24号「社員を徹底的に大切にする経営で成長」
12/13号「伝統文化を守り続ける襖メーカーの「行幸記念日」
12/6号「ブームに陰り・・経営を見直す機会に」
11/29号「羽田に新たなイノベーションの拠点」
11/22号「出所者の”居場所づくり”を続ける協力雇用主
11/15号「超高齢社会を持続可能に」
11/8号「磐梯山に見守られ、会津でモノづくり」
11/1号「ピアノ→クルマ→ボート・・浜松だからこその事業展開」
10/25号「鉱山を支えた技術が成長の原動力」
9/20号「応援を力にして夢をかなえる」
8/30号「御堂筋の一方通行も始まりは大阪万博」
8/16号「経営者に一生の友となりえる出会い・・」
8/2号「リーマンショックの逆風をてこに新事業展開」
7/26号「DA成功のカギは経営者にあり!」
7/19号「世界に発信できるブランド名「TOKYO WOOD」
7/12号「DXと大正時代の駅舎」
7/5号「宇宙のモビりテイを開発」
6/28号「現状に甘んじることのなき不動産業者」             
  中小企業ネットマガジン(11/27号 )   
  ~荒廃農地再生に新たなビジネスモデル提起~

今年は、深刻な米不足にみまわれた。夏ごろからスーパーの売り場に並ぶ
量が激減し、価格が急上昇した。そのうち、売り場からお米は一切みられなく
なった。ある東北の米どころに出張した際、立ち寄ったスーパーからもお米が
消えていたのにはさすがに驚かされた。新米が流通して不足感はなくなったが、
今も相当な高値で販売されている。

「令和の米騒動」と呼ばれた米不足。その要因として前年の不作やイン
バウンドによる消費増、南海トラフ地震の警戒による備蓄需要の高まりなどが
挙げられている。特殊要因が重なった結果という分析だが、今の農業の現状を
考えると、いつまた起きてもおかしくないのではと不安に駆られてしまう。
ここ数年、地方で農業を営んでいた高齢の親類から「米作りをやめた」という
連絡が相次いだ。近隣の農家は何軒も空き家になったという。農家が減り、
耕作されず荒廃した農地が増えるばかりだ。

衰退する農業をどう再生するか。京都府京丹後市の建設会社、マルキ建設の
後継者、堀貴紀氏は第4回アトツギ甲子園でユニークなビジネスモデルを提案し、
最高賞である経済産業大臣賞を受賞した。ビジネスモデルは「処分場の確保が
難しい公共残土を活用し、荒廃農地を再生させる」というもの。2つの社会
課題の解決を目指す。整備した農地で大規模で効率的な農業を展開。加工も
手掛け、付加価値を高めた商品を販売し収益を得る。「地域の雇用や経済の
活性化にもつなげたい。京丹後でこのビジネスモデルを実践し、同じ課題を
抱える地域に広げていきたい」と堀氏は語る。

◆2009
年の農地法の改正でリース方式による法人の農業参入が全面自由化され
て以降、農業に取り組む法人は4000を超えた。農業の新たな担い手として法人
への期待は高まっている。堀氏のように斬新なアイデアで農業にチャレンジ
する企業人が増えてくれれば、日本の農業にも明るい未来が開けてくる。(編集子)
 
  
  中小企業ネットマガジン(11/20号 )   
  ~伝統産業の存続に新サービスの力~

「九谷焼」は石川県の能美市をはじめとする金沢市以南で生産される国指定の
伝統工芸品。五彩と言われる赤、青、黄、紫、紺青の鮮やかな色使いが特徴だ。
明治時代に日本が海外との交易を始めると、九谷焼は欧米で「ジャパンクタニ」
として大ブームとなり、当時の輸出陶磁器のトップとなるなど、外貨獲得に
貢献した。国内でも花瓶や絵皿が贈答品として人気となり、バブル時代には
著名な作家の高額な作品が飛ぶように売れたという。

しかし、バブルの崩壊や、人々のライフスタイルの変化で床の間や畳の部屋
がない家が増え、贈答品市場は減少傾向が続く。九谷焼の生産や販売に従事する
人口も減り、担い手不足も深刻になっている。全国の伝統工芸品産地が抱える
課題が九谷焼産地にも影を落としている。1月の能登半島地震は九谷焼産地にも
被害を与えた。

能美市で九谷焼の生産と卸売りを手掛ける清峰堂の清水則徳社長は、新しい
挑戦に乗り出した。九谷焼のサブスクリプション型レンタルだ。飲食店や
ホテルなどに、毎月定額で九谷焼の作品を提供する。月額1万円から10万円と
4
つのコースを用意し、さまざまなニーズに対応できるようにしている。
「業界初の取り組みで、値付けのやり方や、破損に備えた保険のかけ方など、
一から考えなければならなかった」と事業化までさまざまな苦労があったという。

お客さんに作品を見てもらうためのショールームを新設し、開業準備も大詰め
のところに能登半島地震が襲った。幸い作品はまだ展示していなかったが、
工場の仕掛品が割れる被害が発生した。清水社長は被災地向けの補助金を活用
してショールームの地震対策を見直し、作品を固定する対応をとったうえで
事業化にこぎつけた。

「レンタル事業で九谷焼のすばらしい作品を多くの人に見てもらい、九谷焼
の伝統技法を持つ職人を守りたい」。清水社長は新サービスに乗り出す意義を
語る。インバウンド客も大きなターゲット。ジャパンクタニが国内外で再評価
される日の到来を願っている。(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(11/13号 )   
  ~愛娘を心の支えに~

今年のパリ五輪では数々の感動的なシーンが繰り広げられた。そのひとつが、
レスリングの文田健一郎選手が金メダルを獲得した場面だ。東京で銀という
「ふがいない結果」(文田選手)に終わったが、昨年1月に誕生した長女に
「世界一強いパパになる」と誓い、パリの会場にいた愛娘の目の前で約束を
果たした。つらいことも子どものためならば頑張れる。それが親の気持ちだろう。
子ども環境教育情報紙「エコチル」(無料紙)を発行するアドバコム(札幌市)
の臼井純信代表取締役もそうした親の一人である。

臼井氏が2001年に設立した同社は広告代理業が本業だったが、20064月に
環境問題をテーマにしたエコチルを創刊し、札幌市内の公立小学校で配布を
始めた。ところが当初は広告主を確保できず、「出せば出すほど赤字だった」
(臼井氏)。広告代理業で稼いだ利益をエコチルが食いつぶす状態が続き、社員
も次々と退職。「もう続けていけない」と挫折しそうになった。

そんなとき心の支えとなったのが長女の存在だった。そもそも同紙は、長女が
2005
年に誕生した際、「子どもに誇れる仕事がしたい」という思いを抱いた
ことから創刊したもの。「この子が小学校に入り、学校でエコチルを手にする
までは頑張ろう」と歯を食いしばり、同紙の発行を続けた。すると2008年の
北海道洞爺湖サミットを機に環境問題への関心が高まり、配布を希望する小学校
が増え、企業からの広告も相次いだ。その後のリーマンショックでは広告代理業
が落ち込んだが、「エコチルを発行していたおかげで乗り切れた」という。

そして20124月、小学1年生になった長女がエコチルを持って帰宅した。
その様子を撮影した写真は妻から携帯電話で送られた。今年9月に取材した際、
当時を思い起こした臼井氏は感極まったのか、目を潤ませ、言葉を詰まらせた。
話を伺っていた編集子も同じ親として、その気持ちが手に取るように分かった。
胸に残る感動的なシーンだった。(編集子)
 
 
 
  中小企業ネットマガジン(11/6号 )  
  ~沖縄のソウルフード「てんぷら粉」が商機生む~

沖縄料理には不思議な魅力がある。ゴーヤチャンプルーはもはや全国区だが、
「にんじんしりしり」は、圧倒的なニンジンの存在感に驚かされながら食べた
ことがある。豚足を軟らかく煮込んだ「てびち」、こりこりとした食感が
たまらないミミガーやチラガー。ふだんあまりお目にかからない食材がおいしく
調理され、味つけも特徴的で後を引く。特に「てびち」が好物で、無性に食べ
たくなる時がある。ちょくちょく都内のアンテナショップに立ち寄っては沖縄
の食材を買い求めている。

沖縄を代表するソウルフードに「天ぷら」がある。一般的な天ぷらとは
異なり、具が分厚い衣で覆われている。外はサクサク、中はふわふわもっちり。
衣にあらかじめ味がつけられていて、天つゆをつけずにそのままパクリと食べ
られる。おやつとして、酒のつまみとしても親しまれている。

宮古島市の伊良部島で水産加工業を手掛ける浜口水産は、沖縄天ぷら用に
下ごしらえを済ませた「魚屋のてんぷら粉」を2019年に商品化し、思わぬ
ビジネスチャンスをつかんだ。全国にチェーン展開する食品小売店の目に
留まり、製造を依頼している地元の製粉会社を通じて全国でも扱われるように
なった。

代表取締役の浜口美由紀氏によると、商品化のきっかけはコロナ禍だった
という。宮古島の公設市場で沖縄天ぷらを販売していて、「日々揚げる天ぷら
の味付けを均一化するため、製粉会社に依頼して業務用につくってもらった」
と浜口氏。しかし、コロナ禍で島だけでのビジネスは厳しい状況になり、一般
向けの販売にチャレンジ。沖縄本島の産直売り場で試食販売するなど地道な
営業を重ね、ビジネスが大きく開花した。

メディアを通じて沖縄天ぷらの存在は知ってはいたが、今回の取材で初めて
試食させてもらった。衣が厚い分、食べ応えがあって腹持ちがいい。とても
おいしかった。沖縄ではファストフードのような感じで販売しているところも
あるそうだが、沖縄以外でも十分通用するような印象を持った。沖縄料理の
ポテンシャルを再認識させてもらった。(編集子)
 
  
  中小企業ネットマガジン(10/30号 )   
  DXの目的と手段~

「中小企業もDXを」。中小企業経営者にとってもう耳にタコができるほど、
聞かされている言葉かもしれない。デジタル・トランスフォーメーションは
「デジタルによる事業変革」という意味だ。デジタルという言葉が先にある
ため、どうしてもそちらに意識が向かいがちだが、本質は事業変革の方にある。
事業変革で生産性を高めたり、新分野に挑戦したりすることで、持続可能な
経営体質にする。そのための道具としてデジタルを使うというのが、正しい
解釈だ。Xが目的であり、Dはそのための手段である。

静岡県浜松市にある浜松倉庫は、ものづくりの産業集積が厚い浜松の地の利
もあり、堅実な経営を続けていた。しかし、倉庫業は大手が総合物流業へと
事業を拡大する一方で、付加価値を示せない中小は保管料の値引き合戦に明け
暮れていた。浜松倉庫の中山彰人社長は「このままでは当社も価格競争に巻き
込まれてしまう。社員の受け身体質も心配」と強い危機感を抱いていた。そこで、
若手によるプロジェクトチームを作り、10年先、20年先に会社をどうしていき
たいかを考えてもらうことにした。

チームのメンバーは苦労をしながらも、取り組むべき方向を考え、実現の
ためにはデジタル化が必要だという結論を見出した。そして、その段階になって
初めてITのコンサルタントを入れて新システムの構築に取り組んだ。自社でやる
べきことが何かが明確なので、デジタルツールの選定も過不足なく適切なものを
選ぶことができた。結果として顧客満足度が向上し、生産性は30%改善した。
何より変わったのは「社員が自ら考えて会社を変えていこうという主体性が
育まれたこと」(中山社長)だという。

浜松倉庫は一連の取り組みが評価されて経済産業省の中堅・中小企業のDX
優良事例を集めた「DXセレクション2024」において、最上位のグランプリに
輝いた。「ああ、そんな特別な会社なのだな」と思わないでもらいたい。浜松
倉庫も世の中にある多くの企業同様に、DX人材と呼べる社員は一人もいなかった。
ただ、社長と社員がDXの目的と手段を正しく理解し、愚直に取り組んだだけ
なのだ。「会社をどうしていきたいのか」。まずはそこからDXの第一歩は始まる。
是非踏み出してほしい。(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(10/23号 )   
  ~震災前よりすばらしい、住みやすい浪江に~

福島県の太平洋沿岸部にある浪江町を訪れた。東北新幹線では行けず、一日
3
本だけの仙台行き在来線特急で3時間余。本数の多い、いわき止まりの
特急と各駅停車を乗り継ぐ手もあるが、余計に時間がかかる。約束の時間より
相当早くに到着してしまうが、朝7時台に東京を出発する仙台行き特急に
乗り込んだ。

浪江に着いて昼食の場として足を運んだのが「道の駅なみえ」。東日本
大震災と原発事故で被災した町の復興のシンボルとなる施設だ。正面から入る
と誰でも演奏できるグランドピアノが置かれ、その右手奥にあるレストラン
では、地元で水揚げされた魚介類を使った和食や「B-1グランプリ」で日本一
に輝いた「なみえ焼きそば」などが提供され、多くの人たちでにぎわっていた。
建物には木材がふんだんに利用され、木の香りとぬくもりに包まれていた。
かつて林業が盛んだった浪江町にふさわしいランドマークだ。

原発事故で全町民が避難した浪江町では林業関係者の多くが廃業したが、
朝田木材産業代表取締役の朝田英洋氏は「林業を復活させたい」と避難先の
東京から単身で戻って事業を続け、さらに、国家プロジェクトの一環として
整備された「福島高度集成材製造センター(FLAM)」の運営を担うウッドコア
を設立した。来年の大阪・関西万博の大屋根リングのほか、昨今増えている
大規模な木造建築物用に集成材を納入していることで注目されている。

一方で、震災から13年を経った今も町の大部分は帰還困難区域のままで、
住民も震災前の1割ほどにとどまっている。復興のシンボルの道の駅に設置
されたピアノも原発事故の影響で閉校した小学校から寄贈されたものだと
知れば切なくなる。事は容易に運ばないことなど朝田氏は百も承知だ。
「まだまだ時間はかかるが、震災前よりすばらしい、住みやすい浪江にして
いきたい」。これまでの苦難を乗り越えてきた朝田氏の言葉に力強さを感じた。
(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(10/16号 )   
  ~ロボットの技術が食産業を変革する~

日本惣菜協会がまとめた2024年版惣菜白書によると、2023年の惣菜市場は
109827億円に達したという。コロナ禍の2020年に10兆円を割り込んだが、
その後、順調に回復し、11兆円に迫る勢いとなっている。白書では、「生活者の
食生活に欠かせない社会的インフラ」に成長したとしているが、まさに惣菜
なしの食生活など想像がつかないほどわれわれの生活に浸透している。

成長の一方で惣菜業界は慢性的な人手不足に頭を痛めている。食材をきれい
に盛り付けする作業は人の手に頼る部分が多く、自動化が進まない分野だった。
自動化を阻んでいた要因の一つは、ポテトサラダやきんぴらごぼう、ほうれん草
のおひたしといった食材だ。形が定まっておらず、全体が軟らかい。中身の
具材の大きさもまちまち。こうした惣菜をトレイにきれいに盛り付けるのは、
五感を生かした人の作業に勝るものがなった。

◆2014
年に創業したコネクテッドロボティクス(東京都小金井市)は、これまで
自動化が難しかった不定形の惣菜を盛り付けるロボットシステムを実用化し、
業界の救世主として大きな注目を集めている。AIやセンシングなどの技術を
駆使し、惣菜をつかむロボットハンドやソフトウエアを独自に開発。ロボットの
動作にも改良を加えた。トレイの供給から盛り付け、検査、包装、ラベリング
まで一連の工程をすべてロボットが作業する世界初のシステムも実用化。従来
7
人が必要だった作業をたった2人でこなすことができるという。

代表取締役の沢登哲也氏は東大工学部を卒業後、飲食店ビジネスを志した。
長時間労働で単純作業を繰り返す厳しい労働環境を経験したことがきっかけ
となり、食産業をターゲットにしたロボット開発に取り組むようになった。
「農業から飲食業、第一次産業から第三次産業まで食産業全体がロボット化
する時代が必ずくる。われわれの技術でそんな世界を早期に実現させたい」
と沢登氏。夢に向かって着実な歩みを進めている。(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(10/9号 )   
  ~変わる?女性経営者像~

ある調査会社によると、日本企業の女性社長比率は2023年時点で8.3%と
前年比0.1ポイント増加し、過去最高を更新したという。1985年に男女雇用
機会均等法が施行されて約40年。女性社長はわずかながらも増えている。
しかし、1割に満たない状況はまだまだ遅れていると言わざるを得ないだろう。
男女の役割を無意識に固定化するアンコンシャス・バイアスや、子育てとの
両立に悩み管理職や経営者への道を断念する働き方の問題など、背景には
さまざまな要因がある。

株式会社マクライフ(岡山県津山市)で働く牛垣希彩さんは、経営者候補
として修業する日々を重ねている。同社は牛垣さんの父親が2017年に創業した。
きっかけは東日本大震災で約2,000件の天井落下事故が発生し、不幸にも
亡くなった方がいたこと。安全な天井をつくりたいと、軽くて柔らかい膜材
による天井システム「マクテン」を開発し、事業化に乗り出したことが
きっかけだった。

牛垣さんは当時、大学を卒業して地元の百貨店に勤務していたが、実家に
帰るたびに父親がマクテンの販促に苦労する姿を見てきた。「自分にもやれる
ことがあるのでは」と思うようになり、一念発起してマクライフへの入社を
決めた。そこから、SNSを活用した情報発信など、父とは違うアプローチで
マクテンの販促に取り組んできた。2023年に中小企業庁が主催する後継者が
事業のアイデアを競うピッチイベント「アトツギ甲子園」に出場し、優秀賞を
受賞したことで知名度が高まり、事業への好影響も得られた。

牛垣さんは「父が取引先と交渉する姿を見たり、二人でお酒を飲みながら
会社の将来を話したりすることで、父と娘の関係だけではわからなかった
経営者としての父を知ることができたのは、今後の自分にとっても大きな財産に
なっています」と、会社経営を担う覚悟も固まりつつある。「まずはマクテン
を全国に普及させ、いずれは海外にも進出したい。そしていずれは結婚して
家庭も築いていきたい」と思いを語る。仕事もプライベートもしなやかに
乗り越えようとする姿に、令和を生きる女性経営者の新しい姿を見るようだ。
(編集子)
 
  
   中小企業ネットマガジン(10/2号 )  
  ~猛暑に負けない卒業生たちの熱い思い~

「衣食住」ならぬ「居職住」という言葉がある。「京都移住計画」代表の
田村篤史氏が地方移住に必要な三つの要素として提唱しているもので、「居」
は居場所(=コミュニティ)、「職」は仕事、そして「住」は衣食住と同じく
家を指す。このうち「職」に焦点を当て、「佐野らーめん予備校」という
ユニークな移住支援策を展開しているのが栃木県佐野市である。

「移住のネックになるのが仕事」との観点から支援策を模索していた
市役所の担当者が、街中でラーメン店に行列ができている様子を目にして
「ラーメン店の開業とセットにすればいいのでは」と思いついた。2019年に
スタートした予備校では、青竹を使った伝統的な麺打ちなどラーメンの作り方
はもちろんのこと、事業計画書の作成やマーケティングといった経営に関する
カリキュラムを実施する。移住が条件だが、年齢・性別・経験は不問。研修
費用は249800円で、移住した時点で10万円の奨励金が申請できる。

15期までに25人が受講し、7人が開業した。なかには、約150軒が立ち
並ぶ佐野市内で早くも人気店に成長した店舗も。また、自身の出身地・奈良県
天理市の「スタミナラーメン」と融合させた「佐野スタらーめん」という、
移住者ならではのラーメンがお目見えしている。このほか、既存店で修業を
続けながら開業に向けて準備を進めている卒業生もいる。移住については15世帯
の転入につながっている。

◆2
カ月ほど前だが、729日に佐野市を訪れ、昨年6月に開業した「佐野
ラーメン 麺や輝」を取材した。店主の京増優美氏は予備校を受講後、夫の
昌義氏らとともに神奈川県から移住した。折しも当日の佐野市の気温は41.0度と、
歴代国内最高にあと0.1度まで迫った。「暑い日には酸辣湯麺(サンラー
タンメン)がおススメ」と優美氏は商売に精を出す。ラーメンのまちには、
優美氏をはじめ、猛暑に負けない卒業生たちの熱い思いがみなぎっているようだ。
(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(9/25号 )   
  ~角膜再生医療の確立に挑む~

目の病気の一つに水疱性角膜症という疾患がある。角膜に水がたまり、水膨れ
を起こして混濁する病気だ。症状が進行すると失明する恐れもある。角膜の
水分量を調節する角膜内皮細胞が機能しなくなることによって引き起こされ、
国内だけでも約1万人の患者がいると推定されている。現状では、正常な角膜
を移植する以外に治療法がなく、多くの患者が移植治療を待ち望んでいる。

東京都中央区の株式会社セルージョンは、再生医療による水疱性角膜症の
治療法の確立に果敢にチャレンジしている。iPS細胞(人工多能性幹細胞)
から角膜内皮細胞と同じ機能を持つ「角膜内皮代替細胞」を作り出し、患者に
移植する。人に対する臨床試験も始まっており、治療の有効性・安全性を確認
する段階に入っている。その取り組みが高く評価され、羽藤晋社長は「第23
Japan Venture Awards(JVA)
(中小機構主催)で、最高賞である経済産業大臣賞
を受賞した。

羽藤社長は、慶應義塾大学医学部眼科学教室で角膜の再生医療の研究を続け、
2015
年に当時の眼科学教室の教授らとともにこの会社を設立した。実用化に
名乗りを上げる企業が現れず、「ならば、自分たちで実用化をリードしよう」
と起業を決意したそうだ。実用化に向けては莫大な費用が必要となるが、
NEDO(
新エネルギー・産業技術総合開発機構)の支援を獲得するなどして研究
開発を進めてきた。

日本での上市の目標は2027年。セルージョンの治療法は、アイバンクなど
角膜移植手術ができる体制が整っていない国々の患者に治療を受ける道を拓く。
「世界的にドナー(角膜の提供者)が不足している。再生医療の道を拓き、
角膜の病気に苦しむ全世界の患者の治療に貢献したい」と羽藤氏。目標の実現
に向けて一歩一歩着実に歩みを進めている。(編集子)
 
 
  
   中小企業ネットマガジン(9/18号 )  
  ~町の文具店がエンターテインメントの場に~

「地方都市の町の文房具屋さん」と聞くと、どうしてもその先には「衰退」
や「先細り」といったネガティブな言葉を続けたくなる。実際、昔は学校の
近くに当たり前のようにあった文房具屋さんは、すっかり姿を消している。
少子化やペーパーレス化に加え、ネット販売やコロナ禍が縮小に拍車をかけた
と言われている。

福井県で文具店を経営する株式会社ホリタ(福井市)も、そんな町の
文房具屋さんの一つだった。戦後まもなく祖母が家計の足しにと始めた商売。
それを母が継ぎ、そして2014年に堀田敏史さんが31歳で3代目社長に就いた。
堀田さんは就任当時から「田舎のディズニーランドを作りたい」と言って
いたが、当時それを真に受ける人は周囲にはいなかった。

しかし、2022年に開業した同社6店目の新業態店「LIFE CANVAS」を見た
人は、今までの文具店とは違う店づくりを見て、度肝を抜かれた。今まで見た
ことのないペンやノートといった品揃えが充実しているだけではなく、季節
ごとにさまざまなモノづくりのワークショップが開催されている。大人が
楽しめるものや、子どもが遊びながら創造力をはぐくめる知育を意識した
ものなど、多彩なプログラムを提供している。モノを買いに行くところから、
コトを体験する場へと変貌させたのだ。

堀田さんはこの店舗を「文具の聖地」とし、地元だけでなく遠くからでも
人に来てもらえるところにしたいと考えている。堀田さんの周りには次第に
福井市や越前市、金融機関、大学とさまざまな人が集まり、一緒になって
地域を盛り上げようと協力するようになってきた。11月には大掛かりな集客
イベントを開催する計画もあるという。厳しい市場環境であっても熱意と
緻密な戦略があれば、変化は起こせるのだということを示してくれている。
(編集子)
 
 
  
   中小企業ネットマガジン(9/11号 )  
  ~ネーミングもおいしそうな「食べる磯焼け対策」~

マルハニチロの調査によると、回転寿司で人気ナンバーワンのネタは
サーモンだ。2位はマグロ(赤身)だが、ランキングをよく見ると、5位に
マグロ(中トロ)、6位にネギトロ、10位にマグロ(大トロ)が登場している。
ネタ別ではなく魚の種類としてはマグロが1位なのだ。これだけ人気のマグロ
だが、江戸時代までは食べずに捨てられていたという。脂っこく腐りやすい
というのが理由で、魚好きのネコでさえ食べずにまたいでいくとして「ネコ
マタギ」とも呼ばれていた。

かつてのマグロと同様に「ネコマタギ」と呼ばれる魚は今も数多い。その
ひとつがイスズミだ。内臓部分に強烈な臭いがあり、食用には適さない。
厄介なことに、海藻を大量に食べるため、磯焼けの原因にもなっている。
とくに長崎県の対馬で被害が深刻だという。そんななか、「美しい海を守り
たい」として「食べる磯焼け対策」に取り組んでいるのが対馬で飲食店経営や
水産加工を手掛ける丸徳水産だ。イスズミを使ったおいしいメニューを考案し、
食材としての利用価値を高めることで、磯焼けの拡大を防ごうというのだ。

同社の犬束ゆかり専務は、臭いの元となる内臓をきれいに取り除き、調味料
の配合なども調整。肉厚の身の部分を生かしたイスズミのフライを完成させた。
さらに201911月の「第7Fish-1グランプリ」にはメンチカツを出品し、
国産魚ファストフィッシュ商品コンテスト部門でグランプリを獲得した。受賞を
機に、飲食店のメニューや学校給食に採用されるようにもなった。

同社経営の飲食店やオンラインショップでは「そう介(すけ)のメンチカツ」
という名前で提供されている。「そう介」とはイスズミのことで、「イスズミは
臭くて食べられないというイメージが根強い」として犬束氏が命名した。
「ネコマタギ」という不名誉な別名より、「そう介」という親しみやすい
ネーミングの方がはるかにおいしそうである。(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(9/4号 )   
  ~南の島のファーストペンギン 宮古島商工会議所~

◆2
本足でよちよち歩く姿が愛らしいペンギン。動物園や水族館の人気者だ。
水の中に入ると、その様子は一変し、空を飛んでいるように泳ぎまわる。ふだん
群れで生息しているが、その中で先陣を切って海に飛び込むペンギンがいる。
そんな勇気ある行動をとるペンギンになぞらえて、冒険的な事業に取り組む
人を「ファーストペンギン」と呼ぶ。今年1月、沖縄・宮古島でそんな人物に
出会った。

その人物は、宮古島商工会議所経営指導員の糸数優子氏。島経済の活性化を
図ろうと、島の事業者を集めた交流商談会を企画した。商談会開催経験はほぼ
ゼロ。人手も資金も不足する中で市や商議所、観光協会などに働きかけ、今年
1
月、「ぷからす交流商談会」を開催。イベントには島を中心にサプライヤー・
バイヤー合わせて約80社が参加した。ホテルの催事場を会場にした本格的な
商談会に、島外のバイヤーからは「人口55000人という市の規模で、これほど
活気がある商談会はなかなか開けない」との声も聞かれた。

日本屈指の観光スポットとして人気を集める宮古島。島の経済はさぞかし
潤っていると推察するが、実はそうでもないという。観光客は島外資本が建設
した高級ホテルに宿泊し、島外から仕入れられた商品を購入する。地元に金が
落ちず、島外に流れてしまっている。逆に物価や地価が上昇、人手不足を招き、
一部には不満の声も上がる。「なんでそうなるの?」。そんな疑問が糸数氏を
つき動かした。

「島の事業者は、同じ島内にいながら交流は薄く、情報も持っていない。
お互いを知ってもらうことで、新たなビジネスチャンスを生んでほしい」。
糸数氏の挑戦をきっかけに事業者同士の連携が広がり、脆弱な物流などの島の
課題克服に向けた動きも進みつつある。「ぷからす」には、宮古島の言葉で
「うれしい」という意味がある。島にかかわるみなが「ぷからす」になる日が
早く来ることを願っている。(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(8/28号 )   
  ~万博をきっかけに成長する中小企業~

◆2025
年の大阪・関西万博の開催に向けて、パビリオンの建設は急ピッチで
進んでいる。日本で万博が開催されるのは、今回で3回目。1970年の大阪万博
のテーマは「人類の進歩と調和」、2005年の愛・地球博は「自然の叡智」
だった。過去2度の開催は、中小企業の成長にもさまざまな影響を及ぼした。

大阪万博でアメリカ館のエアドームを施工した太陽工業株式会社は、世界の
大型施設に膜構造物を供給する大企業に成長。今回の大阪・関西万博でも
パビリオンの建設を担う。中小企業でありながら、自社パビリオン「タカラ・
ビューティリオン」を出展して周囲を驚かせたタカラベルモント株式会社は、
今や理美容椅子業界で世界トップに君臨する。両社とも、万博で世界の人々に
見て、知ってもらうことをきっかけに飛躍を遂げた。

名古屋の株式会社マルワは、愛・地球博をきっかけに、自社の事業内容を
転換させた。同社は印刷業を手掛けていた。同社の鳥原久資社長は万博開催
前に、万博事務局に封筒や紙類の印刷の仕事をもらおうと出入りをしていた。
その間に万博会場にオオタカの営巣地があることが分かり、事務局は最終的に
開催地を変更する英断をくだした。そうした一連の出来事を間近で見ることで、
「環境問題が世界的なイベントを動かすこともあるのだ」と知り、環境を
ビジネスの中心に据えることを決断した。

◆2002
年に環境マネジメントシステム「ISO14001」をいち早く取得、その後も
GP
(グリーンプリンティング)工場認定、FSC(森林認証)を取得、地産地消の
カーボンオフセットを実施した。中小企業はもちろん、大手でもここまで
本格的な環境対応は珍しい時代だった。これらの活動から「環境ならマルワだ」
というイメージが、地元自治体や経済団体からも認識されるようになった。
大企業を中心にサプライチェーン全体で温室効果ガスの排出削減が求められる
時代が到来しており、同社が時代を先取りして進めてきた取り組みは、取引に
おいても優位を築きつつある。

同社はさらに事業を転換させ、情報産業へ転身を目指しているという。2025
の大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。世界に不穏な
空気が漂う中で、命という根源的なテーマに触発された中小企業がどれだけ
輩出されるのか。期待したいところだ。(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(8/21号 )   
  ~運送ドライバーと競技の両立で目指すはロス五輪!~

「就職先、募集中です」。2008年の北京五輪のフェンシングで銀メダルを
獲得した太田雄貴氏は競技直後のインタビューでこう語った。大学卒業後、
どこにも就職しなかった太田氏は競技に専念。五輪出場時は「京都クラブ」
を所属先としていたが、同クラブは、「さすがに無職とは書けない」として
太田氏自身が立ち上げたもので、実体はなかった。日本フェンシング界初の
メダリストの就活に対し、30社以上からオファーが寄せられ、太田氏は
晴れて大手食品メーカーに所属することとなった。

所属先の企業がスポンサーになり、収入面の心配なく競技に専念できる
アスリートはほんの一握りだ。今回のパリ五輪でも、埼玉県内のスーパーの
青果売り場で働きながら代表になった競歩選手がいた。五輪代表が有力視される
アスリートはまだいいが、それ以外の大多数のアスリートは、学校を卒業後、
どのように競技を続けていくか思い悩んでいる。そんな彼らを支援しようと
アスリート社員採用を行っているのが()大松運輸(横浜市)である。

採用されたアスリート社員は、時間調整が比較的容易な運送ドライバーと
して働き、仕事を午前中だけにして午後は練習時間に充てるなど、仕事と競技
を両立させる。選手としての収入だけでは足りずアルバイトをしていた経験を
持つ元Jリーガーの社員が、運送業界の人手不足解決にもつながるとして
提案し、2019年にスタートした。

アスリート社員は大会出場時に社名が入ったユニフォームを着用し、場内
アナウンスや電光掲示板では社名も紹介される。「確実に会社のPRになって
いる」(仲松秀樹社長)という。現在13人いるアスリート社員の中で唯一の
女性である喜田奈南子さんは来年の世界陸上、さらに4年後のロサンゼルス
五輪出場を目指している。ハードルは極めて高いが、本人の努力、そして同社
のサポートによっては、「大松運輸」の名前が世界を駆け巡る、かもしれない。
(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(8/14号 )   
  ~事業承継、気持ちの整理をつける場に 第44期経営後継者研修~

中小企業大学校東京校で第44期経営後継者研修の終講式が719日行われた。
全国に9カ所ある中小企業大学校の中で東京校のみが実施している後継者育成
プログラムで、10月から10カ月間、後継者に必要な知識や能力を習得する。
今期は24人の後継者候補が研修に参加した。

終講式に先立って、研修生が研修の成果を披露するゼミナール論文発表会が
2
日間にわたって行われたが、今年も涙あり、笑顔ありの発表会となった。
研修では自社の歴史を振り返り、経営理念を見つめる。企業活動の仕組みを
学び、業務プロセスや財務・人的資源の分析手法などを習得する。発表会で
研修生たちは、自社の分析内容や後継者としての今後の目標などを他の研修生
や講師、自社の経営者らの前でプレゼンテーションした。

発表を終え講師や自社の経営者に感謝の言葉を述べながら、こみ上げるもの
を抑えられずにいる研修生。「たった10カ月でこんなに変わるとは」と、立派な
プレゼンをする子息・子女の成長ぶりに目を潤ませる経営者。講師も感極まって
言葉を詰まらせる場面もあった。研修生たちにとって濃密な10カ月間だったこと
がうかがい知れた。

特に印象に残ったのは、自身のキャリアを生かし独立すべきか、事業承継
すべきか悩みながら研修に参加した研修生の姿だった。勤めていた会社を辞めて
家業に入ったが、後継のレールが敷かれていることに疑問を持ったそうだ。
自ら志願して研修に参加。講師のアドバイスや他の研修生たちとの交流の中で
進むべき道を固めていった。

「やるか、やらないか、2つに1つの選択肢しか考えられなかった。だが、
研修を通じて、後を継ぎながら自分のやりたいことをする、という新しい
選択肢を見つけた。気持ちの整理がついた」と研修生は晴れやかな表情で話して
いた。経営のノウハウやスキルを学ぶだけでなく、後継者候補が抱える悩みに
対する答えを自ら導き出す場でもある。研修生の話から経営後継者研修の大切な
意義を感じた。(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(8/7号 )   
  ~鹿も応援? 奈良で新しい解体業に挑戦~

奈良公園や奈良の町を自由に往来するたくさんの鹿たちは、地元の人々に
とってはありふれた日常だ。しかし、海外の旅行客からは驚きの風景と受け
止められている。野生の動物があれほど人と近いところで暮らし、鹿せんべい
をねだって人と交流する姿は、他に例がない。奈良の鹿は神の使いとして古く
から大切にされてきた。現在は天然記念物として手厚く保護されている。
だからこそ、鹿たちも安心してこの地で暮らしている。

長い歴史を持つ奈良で、家屋やビルなどの解体業を営むUK工業株式会社は
植原賢治社長が2011年に32歳で起業した会社だ。解体業には、屋外で
ほこりまみれの作業が避けられない3K(きつい・汚い・危険)職場という
イメージが強い。また、解体を依頼する側にとっては、きちんと施工して
くれるのか、法外な解体費用を請求されないかと不安が募ることも多い。
同社は丁寧な施工と明朗会計で、顧客から信頼され成長している。

植原社長が経営のよりどころとしているのが「コーポレート・デザイン・
ブック」という水色の冊子だ。経営理念や社員に求める業務内容を職種別、
役職ごとに詳細に示している。植原社長自身が奈良商工会議所や経営アド
バイザーの助言を得て苦心して作成した。社員全員が携帯し、日々の業務の
指針として活用している。「現場で判断に迷った時に、このデザイン・ブック
を読んで基本に立ち返ってほしい」との考えからだ。

植原社長は「解体作業の現場には、『自分は勉強してこなかったから、家庭
環境が良くなかったから、こういうところで働いている』と、人生をあきらめ
ている人もいる。そんな人たちに、人生は自分次第で変えることができると
教えていきたい」と言う。実際、社員として頑張れば年収800万円、請負
として独立すれば1000万円も夢ではないと具体的な目安も示して意欲を
引き出している。

植原社長自身、起業する前は人生に悲観して生活が乱れる時代も経験した。
だからこそ、従業員が未来を描くことができる新しい解体業を目指したい
と言う。同社は奈良公園から春日山を越えた山中にある。時々、鹿の親子が
同社の敷地に現れ、社員たちを癒してくれるそうだ。地域に必要とされる会社
になりたいという同社の思いを、鹿たちも応援しているのかも。(編集子)
 
  
  中小企業ネットマガジン(7/24号 )  
  〜宮島だけではない魅力を発信〜

日本三景の一つで、世界文化遺産・厳島神社を擁する安芸の宮島は、日本を
代表する観光地だ。宮島がある広島県廿日市市によると、2023年の来島者数は
465万人にのぼり、過去2番目に多い人数となった。訪日外国人観光客も
数多く訪れており、今年は過去最高になる勢いだ。

「宮島」のイメージが強い廿日市市だが、北部の中山間地にも魅力ある観光
施設が数多く存在している。フィールドアスレチックやアーチェリー、温泉に
いちご狩り、冬はスキー。自然のアクティビティに恵まれている。そんな宮島
だけではない廿日市の魅力を発信しようと、中山間地に位置する佐伯
(
さいき)・吉和地区の事業者たちが「はつかいち森のあそび場協議会」を
組織し、観光客の誘致に取り組んでいる。

中小機構のサポートを受けながら、自然豊かな地域の特性を生かし、児童・
生徒が楽しくSDGsを学べる「体験プログラム」を作成し、今年から
プロモーションを展開している。このプログラムを足掛かりに大人世代の観光
需要を獲得し、さらにはインバウンド需要の取り込みも視野に入れている。

そのカギを握るのが、協議会会長の戸野真治氏が経営する「佐伯国際
アーチェリーランド」だ。本格的なアーチェリー体験や弓道、茶道、宮島彫
体験といった日本の伝統文化を顧客がカスタマイズできるプランを提供。外国人
に人気の穴場スポットになっている。「岩国基地に駐留する外国人によく利用
していただいている。全国から訪れる方もいらっしゃる」と戸野氏は語る。

外国人観光客の感性には驚かされる。日本人にはあまりなじみのない場所に
魅力を見出し、新たな観光スポットになったケースは各地に存在する。戸野氏の
施設が拠点となって地域全体が外国人観光客に受け入れられるポテンシャルは
十分にある。「宮島に行ったら佐伯・吉和には必ず寄らないとね」。協議会の
取り組みが進めば、数年後、外国人観光客からそんな言葉が当たり前のように
聞かれるかもしれない。(編集子)
 
  
   中小企業ネットマガジン(7/17号 )  
  ~人と地域に寄り添う経営で人手不足を乗り越える~

中小企業にとって、人手不足が経営上の大きな課題となって久しい。中小
機構が公表した20244-6月期の中小企業景況調査によると、全産業の従業
員数過不足DI(「過剰」から「不足」を引いた値)は、マイナス21.6と、人手
不足状態が高いレベルで続いている。小売りやサービス産業は、コロナ禍から
の脱却で人流が回復し、海外からの旅行客も高水準と市場拡大の好機を迎えて
いるものの、人手不足でその波に乗り切れないでいる。地方の企業はさらに
厳しい。

厳しいからこそ、さまざまな知恵を絞り、人を確保している中小企業も存在
する。岐阜市でTシャツなどのプリント加工を手掛ける株式会社坂口捺染は、
パート従業員の勤務時間を原則自由にした。パート従業員は自分の都合で、
いつ来てもいつ帰っても自由だ。子育てや介護で時間が自由にならないけれど、
働く意欲がある人が地域にたくさんいると考えたからだ。

坂口輝光社長がこの方針を打ち出した時、フルタイム勤務の社員から異論
が出た。「なぜパート従業員を優遇するのか」。それに対して、坂口社長は
「当社は働く人の大半がパート従業員。パートに支えてもらっている会社。
そのパート従業員が働きやすい環境を作ることが、会社にとってどれだけ重要
なのかを理解してほしい」と説得していった。出退勤時間を自由にするという
ことは、その日にならないと何人出勤するのかが分からないということだ。
同社は徹底した多能工化でそれに対応している。パート従業員にも複数の仕事を
覚えてもらい、その日の業務に応じて人を柔軟に再配置している。

同社はコロナ禍で遊びに行くところがない子供たちのために、会社に駄菓子
屋を開設したり、障がいのある人が気軽に立ち寄れるカフェを開業するなど、
地域への貢献活動にも積極的に取り組んでいる。こうした姿勢が地域に評価
され「ここで働きたい」と思う人を増やしていった。今では、坂口社長が
SNS
に「パート従業員を募集します」と書き込むと、70人が応募するという
盛況ぶりだ。働く人や地域に徹底して寄り添う同社の経営方針は、人手不足に
苦しむ企業に示唆を与えている。(編集子)
 
  
  中小企業ネットマガジン(7/10号 )   
  ~よろず支援拠点のヘビーユーザー

取材した中小企業の経営者が活躍の幅を広げていくのはうれしいものだ。
本コラム(今年228日配信)で紹介したイヴニングスター(浜松市)の
西谷美和社長から先日メールが届き、今年4月に静岡県よろず支援拠点の
コーディネーター(専門家)に就任したとのこと。専門はホームページやEC
サイトの改善、DX導入支援など。つい12年前まで地元の商工会議所でDX
セミナーを受講していた西谷氏が今やアドバイスする立場になっているのだ
から、成長のスピードは実に速い。

よろず支援拠点は、国が全国に設置している無料の経営相談所。ITDX
ほか、経営改善や販路拡大、事業承継、雇用、法律などの専門家が中小企業・
小規模事業者らからの相談に応じている。無料と聞くと、おざなりの回答
しか得られないのでは、と思われがちだが、決してそんなことはなく、直面
していた経営課題を乗り越えたケースは数多い。

ピアノ演奏用シューズの開発・販売を手掛けるリトルピアニスト(茨城県
龍ケ崎市)の創業者、倉知真由美氏は、よろず支援拠点を上手に活用した
ヘビーユーザーである。ピアノの音色を変えるペダル操作に苦労していた
娘の様子を間近で見ていた倉知氏はやがて世界初のピアノ演奏用シューズを
考案して特許も取得。そして起業に至った。その過程で、地元の茨城県だけ
でなく東京都のよろず支援拠点にも足を運び、販売価格の設定や販路の開拓、
特許や契約をめぐるトラブルの対処など、事あるごとにアドバイスを受けた。

「経営について全くの素人だった」と話す倉知氏が世に送り出したピアノ
シューズは今や全国各地の楽器店などで販売され、有名ピアニストらが愛用
するアイテムとなった。今後は海外展開も目指すという。「何度相談しても
無料というのが大いに助かった」という倉知氏にならって、経営者の皆さん
には、よろず支援拠点を使い倒していただきたい。(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(7/3号 )   
   126の「イズム」で経営の高みを目指す~

琵琶湖東岸にある滋賀県彦根市は国宝の彦根城をはじめとする数多くの歴史
遺産とご当地キャラクター「ひこにゃん」で知られる。そんなイメージの強い
地域だが、市とその周辺は水道などに利用されるバルブ産業が県を代表する
地場産業となっている。明治中期に門野留吉という人物が蒸気用カランを製造
したのが始まりだそうで、現在は約30社のブランドメーカーと7080社の関連
企業が事業を展開し、この地域の経済を支えている。

彦根市に隣接する多賀町にある株式会社ミヤジマもバルブとともに成長して
きた。創業は昭和4年。鋤や鍬など農具を作る鍛冶屋だったが、バルブを開閉
する際の軸となる弁棒の製造を依頼され、事業が始まった。鋼鉄のシャフトに
圧力をかけ、フランジと呼ばれるつばをつけるアプセット鍛造を専業で手掛けて
いる。短工期・低コストでの製品を製造する「宮嶋式弁棒鍛造方式」という
技術が強みとなっている。

三代目の宮嶋誠一郎会長は2002年に父から経営を引き継いだが、当時の
経営は厳しかったそうだ。そこで販路拡大にチャレンジし、工作機械や農機、
鉄道車両など幅広い分野のシャフト製造を手掛けるようになった。現在は
受注の8割はバルブ以外の分野だという。京セラ創業者の稲盛和夫氏の経営塾
「盛和会」で学んだ経験を活かし、着実に黒字を出せる経営体質に変えていった。

業務の傍ら地元や県外の若手経営者の相談にも積極的に乗り、中小企業
応援士にも委嘱された。10年ほど前に自社が大切にしている考え方をまとめた
「ミヤジマism」という冊子をまとめている。自身の経験や著名人の金言
などを126項目集めたもので、ビジネスにとどまらず社会人としてのあるべき
所作も盛り込まれている。朝礼で社員たちと毎日輪読しているという。
「これからの会社は『利他』をまじめに考えている会社が生き残る。売り買い
だけでなく、社会に貢献できてこそいいビジネス。それを実践できる会社を
目指していく」と宮嶋氏。さらなる高みを目指している。(編集子)
 
  
  中小企業ネットマガジン(6/26号 )   
  ~「捨てないアパレル」がファッショントレンドに~

間もなく7月。百貨店のショーウインドーを真夏のファッションアイテムが
華やかに彩っている。新しい服を買ってバカンスに出かけようと思う人も多い
だろう。ショーウインドーは8月ともなると、早くも秋の装いに変わる。
こうした季節ごとに新しいファッションスタイルを提案して、私たちの購買
意欲を喚起するアパレル産業のビジネスモデルが、これからは変化するかも
しれない。

新しい服が登場することは、その裏で大量の売れ残りが発生し、大量生産・
大量廃棄を招いている。限りある資源を無駄遣いし、さらに途上国で低賃金
による過重労働を引き起こしている。国連貿易開発会議(UNCTAD)は、
「ファッション業界は世界で第2位の汚染産業である」とし、警鐘を鳴らした。
EU
2025年に衣類の廃棄禁止を決めた。ユニクロは衣類を店頭で回収して素材
としてリサイクルしたり、古着を洗ったり染め直したりして再販売する事業を
始めるなど、アパレル業界も動き出している。

埼玉の小さなアパレルメーカーである株式会社ニィニは、こうしたアパレル
業界の変化を先取りした活動に乗り出している。「捨てないアパレル」を掲げ、
客から預かったきものや毛皮を、ドレスやスーツ、バッグなどに作り替える
リメイク事業を行っている。同社が目指すのは、使われなくなった衣類に付加
価値を付けて生まれ変わらせる「アップサイクル」だ。

同社の保坂郁美社長は、バングラデシュの縫製工場のビルが崩落し、そこで
働く1100人以上が死傷した事故を知り、大量生産の裏にあるアパレル業界の課題
を解決したいという思いで、捨てないアパレルを始めたのだという。同社が
手掛けるアップサイクルは、決して安くはない。しかし、大切だが着られなく
なった衣類が、新しい価値を得て着続けられるようになったことを喜ぶお客の
姿を見て、この事業を始めてよかったと心から思っている。

同社の取り組みは大手百貨店の目にも止まり、呉服売り場の顧客にきものの
リメイクを勧める試みが始まっている。百貨店のショーウインドーに、アップ
サイクルされた服が紹介される日も来るかもしれない。(編集子)
 
 
  
   中小企業ネットマガジン(6/19号 )  
  4番目の“B”“3K”を変える?~

◆“4B”
と呼ばれる職業がある。美容師、バンドマン、バーテンダー、そして
舞台俳優だ。頭文字がいずれもBで、女性が彼氏にしてはいけない男性の職業
だという。ルックスがいいのだが、女性にモテすぎる。お金に困ることもあり、
付き合う女性は苦労するというのだ。もちろん、4Bの男性全員にあてはまる
わけではない。ほかにも“3C”やら“3S”などがあり、一種の言葉遊びと思えば
いいことだろう。

この4B、元々は3Bだったが、あとから舞台俳優が加えられたそうだ。当の
舞台俳優たちがどう受け止めているかはさておき、4番目のBとなった舞台
俳優を警備員として採用して3K(きつい・汚い・危険)のイメージを払拭
しようと取り組んでいる中小企業がある。目にも鮮やかな真っ赤な制服で
パフォーマンス付き警備を行うSHOWYA(ショウヤ)株式会社(兵庫県宝塚市)だ。

同社の梶屋都社長は、自宅近くの路上で切れのいいパフォーマンスで交通
誘導を行う警備員を目にし、「これだ!」と思い立ち、2019年に会社を立ち
上げた。そしてパフォーマー警備員として目を付けたのが地元の劇団に
所属する舞台俳優だった。人前でのパフォーマンスに慣れているし、稽古や
本番でまとまった休みが必要な舞台俳優にとって単発の仕事が多い警備員の
仕事は舞台と両立できる、というのだ。

実際には世間に定着した3Kのイメージを変えるのは容易ではないが、目立つ
ことは間違いない。パフォーマー警備員はテレビや新聞などメディアにも
たびたび取り上げられ、広告塔として会社の知名度アップや人材の新規採用にも
大いに貢献している。また、劇団とのダブルワークを続けていた男性がテレビ
ドラマ出演というチャンスをつかみ、梶屋氏らに祝福されて退社・上京したと
いうケースも。警備員という仕事で舞台俳優をはじめ夢を追いかける人たちを
応援できれば、というのも梶屋氏の思いである。(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(6/12号 )   
  ~バナナから生まれた「紙」が貧困をなくす~

バナナは日本で最もよく食べられているフルーツだ。日本バナナ輸入組合の
バナナ・果物消費動向調査(2023)によると、「よく食べる果物」をバナナ
と回答した人の割合は64%に上り、19年連続で1位をキープした。総務省の
家計調査でも果物の年間消費量1位を堅持している。手ごろな値段で健康に
いい。しかも、おいしい。バナナが日本人に愛されている大きな理由だ。

そんな身近なバナナだが、どうやって育つのか知らないことが多い。バナナ
の木は高さ210メートルほどの高さに育つ。「木」と書いたが、木ではなく
「草」だ。その茎からバナナは1度しか収穫ができない。収穫を終えた茎は
切り落とされ、廃棄される。すると、根元から新たな茎が生え、実をつける
のだが、世界中で廃棄されるバナナの茎の量は年間10億トンにものぼるという。

エクベリ聡子氏が代表取締役を務めるワンプラネット・カフェはアフリカ・
ザンビアで栽培されているバナナの茎から紙をつくる事業に取り組んでいる。
茎から繊維を取り出し、古紙や環境認証の木質パルプと配合して紙にする。
捨てるしかなかった厄介物から新たな価値を生み出している。

事業のきっかけとなったのは夫・ペオ氏とのザンビア旅行だった。野生生物
を観察することが目的だったが、そこで貧困に苦しむ村民たちを目にする。
「貧困が原因で密猟や違法伐採に手を染める人も多い。なんとか現地に雇用を
生み出さないといけないと思った」。その後、バナナの茎から紙が作れること
を知り、2人のチャレンジが始まった。

ゼロからのスタート。ザンビアでバナナ農家に協力を呼びかけ、日本で
賛同してくれる会社を探し回った。やがて、さまざまな企業がバナナペーパー
(
登録商標名は「ワンプラネット・ペーパー」)を使った商品開発をするように
なった。ザンビアでは25人を雇用し、繊維を生産する。「将来は100人くらい
を雇用できる規模にしたい」と聡子氏。SDGs17の目標すべてに貢献する2
のビジネスがさらに成長することを期待している。(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(6/5号 )   
  ~世界のコーヒー取引に一石~

日本のコーヒー消費量は、コロナ禍の3年間を除いて、一貫して増加傾向に
ある。カフェの増加やコンビニエンスチェーン店での販売など、コーヒーを手軽
に楽しめる機会が増えていることが背景にあるという。すでに日本のコーヒー
消費量は世界第4位でコーヒー大国ともなっている。

ただ、世界のコーヒーを取り巻く状況は、厳しさを増している。気候変動
の影響で大雨や干ばつ被害が多発し、生産量が減少するコーヒー産地が増えて
いる。さらにコロナ禍やロシアによるウクライナ侵攻を契機とする物価高騰を
受けてコーヒー豆相場も高騰している。末端の市場価格は高騰しても、コーヒー
産地の農家にはその恩恵はほとんどない。もともと零細事業者が多く、貧困
状態にある生産者・従事者もいる。このままでは、コーヒー生産をあきらめて
しまう農家が続出することが懸念されていた。

そんな脆弱なコーヒー豆取引に一石を投じようと、世界を相手に挑戦している
スタートアップ企業がある。大阪に本社を置くTYPICA Holdings株式会社は、
コーヒー産地とコーヒーショップや焙煎所がネット上で直接取引できる
ダイレクトトレードを始めた。何段階もある複雑な流通過程を省くことで、
生産者と購入者が適正な価格で取引することを目指している。それまでの買い
付け単位はコンテナ1台だったものを、同社は麻袋1つからにすることで、
小規模農家・小規模なコーヒーショップも取引に参加できるようにした。

もちろん最初から順調だったわけではない。後藤将社長や同社のスタッフが、
世界の産地を一軒一軒回り、ダイレクトトレードの意義を説明し、共感する
農家を拡げていった。一方、コーヒーショップや焙煎事業者には、品質を
同社が保証し、万一不良品だった場合は100%返金することで安心させた。
コーヒー豆の価格は農家自身が決められる。頑張っていい豆を作れば、それを
評価した価格で買い付けが行われる。生産者の収入は平均で2.2倍以上に拡大し、
中には35倍になったところもあるという。

同社の取引先は現在、28カ国の生産者のコーヒー豆を27カ国のショップ・焙煎
所に販売する規模にまで拡大している。後藤社長は「直接取引の市場で、規模・
質両方で世界1になる。それにより、貧困や人権問題の解決に貢献したい」
と言う。コーヒーは味や香りを楽しむだけでなく、気分転換をはかったり心を
落ち着けたりする効果もある。われわれが飲む一杯のコーヒーの裏で奮闘する
人々がいることに思いをはせたい。(編集子)
 
  
  中小企業ネットマガジン(5/29号 )  
  ~スポーツクライミングで「WISE」に~

幼児期の習い事で一番多いのは水泳だ。学研教育総合研究所の幼児白書Web
20229月調査)によると全体の21.8%が習っている。以下、英会話(12.6%)
、体操教室(11.5%)と続く。一方、東大生の幼児期の習い事は少々異なる。
小学館の雑誌「サライ」の公式サイトによると1)水泳(59%)2)ピアノ(45%)
3)
英語・英会話(39%)の順だ。ピアノが2位に入っているのが特徴で、
幼児白書Webではピアノを含めた音楽教室は5位(8.6%)だった。演奏で
手指を使うと脳が刺激されて学力向上につながると言われるが、東大生の半数
近くがピアノを習っていたとなれば説得力は十分だ。

習い事は体力や学力の向上を目的にしたものが多いが、両方に効果がある
として最近注目なのがボルダリングだ。スポーツクライミングの一種で、壁に
取り付けられたホールドを手がかり・足がかりにしてゴールを目指す。基礎
体力や体幹が鍛えられるだけでなく、どう登っていくかを考えることで思考力
と集中力が身につくという。手指を使うので、ピアノと同様、脳も刺激される。

こうした知育効果を強調しているのがスポーツクライミング用品ブランド
WISE(ワイズ)」である。栃木県出身でパリ五輪代表の楢崎智亜選手が
監修し、同じく栃木県内の企業、アクトビが滑り止めのチョークなどを製造
販売している。同社の安生智基代表取締役は「スポーツクライミングをする
と賢くなるという意味で名付けた」と話す。

ボルダリングは幼児白書Web版でもランク入りしている。割合は0.3%だが、
ゴルフやスケート、将棋・囲碁と同じ数字だ。習える場所が限られていること
を考えれば数字以上に注目度は高いと言える。スポーツクライミングは東京に
続きパリでも正式種目になっている。日本選手が活躍すれば注目がさらに高まる
だろう。と同時に、楢崎選手らが使用するWISE製品への注目度についても安生氏
は期待を寄せている。(編集子)
 
  
  中小企業ネットマガジン(5/22号 )   
  ~全国の後継者たちが熱いプレゼン:アトツギ甲子園~

今年3月、都内で開催された第4回「アトツギ甲子園」の決勝大会を取材
した。中小企業庁が主催するピッチイベントで、中小企業の後継者・後継者
候補が既存の経営資源を生かした新規事業のアイデアを競う。全国5ブロック
で開催された予選大会を勝ち抜いたファイナリスト15人が登壇した。

オリンピックの正式競技になったブレイキンか、はたまた漫才頂上決戦
M-1グランプリ」か。そんな華やかな舞台演出。それに臆することなく、
登壇者たちは14分の持ち時間で、自身のビジネスプランを披露する。
さすが全国から選抜されたファイナリストだけにみなプレゼンテーション能力
が高く、舞台俳優さながらの熱弁をふるう人も。普段通りのユニフォームを
着て登壇するファイナリストも多く、飾らない姿は好感を持った。

披露されたビジネスプランには社会課題の解決につながる取り組みが多く、
後継者たちの意識の高さが印象に残った。すでに後継者として仕事に従事して
いる登壇者がほとんどの中、最年少の中学3年生(当時)の女子生徒が、
「捨てられる布をなくしたい」と、父の会社の廃棄布を再利用した新開発の
新素材を広めたいというプレゼンも初々しく将来を期待させた。

日本商工会議所が3月にまとめた事業承継の実態調査によると、代表者の
年齢が60歳以上で、後継者不在の中小企業は約2割に上った。経営者の高齢化が
進む中、中小企業の後継者不足は深刻だ。このまま後継者がみつからず廃業が
増えれば、日本の経済・社会にも大きな影響を及ぼすことにもなりかねない。
家業をそのまま引き継ぐのではなく、若い感性を生かし、後継者が新たな
ビジネスにチャレンジできる環境を整えることは、事業承継を円滑に進める
うえでも重要だ。

アトツギ甲子園に出場したファイナリストや地方予選で優秀と認められた
準ファイナリストは、小規模事業者持続化補助金の支援を受ける権利が与え
られる。ビジネスプランの実現に向けて、若きアトツギたちがどんな活躍を
してくれるのか今後が楽しみだ。(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(5/15号 )  
  ~恐竜の町で自社ブランド開発に挑戦~

北陸新幹線の福井延伸で、福井県は首都圏からの観光客の増加に沸いている。
福井駅はおみやげ店や飲食店をそろえたおもてなし施設を新設。羽二重餅や
越前ガニ、ソースカツ丼といった地元の味を楽しむ客で賑わっている。そんな
観光客の中でも目立つのが、子ども連れの姿だ。子どもたちのお目当ては恐竜。
以前から福井駅前には大きな恐竜のモニュメントが置かれていたが、北陸
新幹線の延伸に合わせて一気に増殖。ティラノサウルスやトリケラトプス
など、人気の恐竜21体が駅を降り立った観光客を迎えてくれる。

福井県が恐竜に力をいれるのは、実際に勝山市などで恐竜の化石が発見された
正真正銘の恐竜の町だからだ。福井駅からえちぜん鉄道で行ける勝山市にある
福井県立恐竜博物館には、『フクイラプトル』『フクイサウルス』『フクイ
ベナートル』などの地元で発見された恐竜の実物展示をはじめ、恐竜の全身
骨格が50体展示されている。世界有数の恐竜展示に加え、化石発掘体験ができる
施設など盛りだくさん。北陸新幹線効果で大型連休中はたくさんの家族連れで
にぎわった。

えちぜん鉄道で恐竜博物館に行く途中の駅「永平寺口」にあるのが、フレッグ
食品工業株式会社の本社工場だ。同社は大手コンビニチェーンで販売する
茶碗蒸しなどのOEM製造が主力事業。しかし、OEMだけでは成長が難しいと
考えた斎藤眞理夫社長は、自社ブランド商品の開発を決断。その実行を、後継者
である息子の斎藤督文専務と社員から選抜したプロジェクトチームに託した。

ただ、プロジェクトチームによる開発はすんなりとは進まなかった。苦労の
末に自社ブランド第一弾として作り出したのが、レトルトカレーと水ようかん。
開発を通じて、チームで仕事をすることや、斎藤専務のリーダーシップが
磨かれていった。同社は商品開発から営業まで、すべてを斎藤社長が取り
仕切きる会社だったが、世代交代を見据えたチームによる経営へと転換させる
きっかけともなった。

レトルトカレーのパッケージには、恐竜の家族があしらわれている。カレーの
具材は、もちろん恐竜ではなく、本ずわい蟹や純鶏、焼き鯖と地元の名物が
採用されている。今後近隣の道の駅や物産展で販売する計画だという。恐竜の
町で自社ブランドづくりに挑戦する中小企業の奮闘を応援したい。(編集子)
 
 
 
  中小企業ネットマガジン(5/1号 )   
  ~津波被災者が強調、「頑張りすぎないことが大事」~

プロ野球オリックスが前身の阪急時代から11年ぶりのパ・リーグ優勝を果た
したのは1995年のこと。のちに米大リーグで活躍するイチロー選手を擁する
当時のオリックスが掲げていた合言葉は「がんばろうKOBE」。同年1月の阪神・
淡路大震災からの復興を目指していた神戸市民はオリックスの優勝で大いに
勇気づけられた。同様に2011年の東日本大震災を受け、仙台を本拠地とする
楽天は「がんばろう東北」との合言葉を掲げた。

被災者への励ましの言葉として「頑張ってください」をよく耳にするのだが、
一方で日本うつ病学会は、20117月に公表した提言の中で「頑張る」は被災者
につらく感じられることがある言葉だと警鐘を鳴らした。大切な家族、さらには
住む家や仕事を失った被災者からすれば、「何をどう頑張ればよいのか」「これ
以上どう頑張れというのか」という思いがあるというのだ。

東日本大震災から丸13年の今年311日、津波被害からの復旧・復興を果た
した松島蒲鉾本舗(宮城県松島町)を訪れた際、同社の朱二太(しゅ・つぎひろ)
社長から同じような話を聞かされた。そして「頑張りすぎないことが大事」
と強調した。津波で壊滅状態になった工場内を片付ける際、「全部片付けるぞ、
と意気込んでも思うように作業が進まず、かえって気が滅入ってくる。そう
ではなく、きょうはここだけきれいにしようと小さな目標を立てていった」
と朱氏。その結果、日々小さな達成感を得られ、気持ちも段々と前向きになれた
というのだ。

今年の元日に能登半島地震が起きてから4カ月が過ぎた。多大な被害を受けた
「輪島朝市」が石川県内各地で出張開催されるなど、復旧・復興に向けた動きも
徐々に見られるようになった。一方で、いまだに復旧のめどが立たない事業者も
多い。不安や焦りもあるだろうが、「頑張りすぎないこと」も忘れずにいて
いただければ、と思う。(編集子)
 
 
  中小企業ネットマガジン(4/24号 )   
  DXでドライバーの働き方を改革~

トラックドライバーの時間外労働を年960時間に制限する上限規制が41
スタートした。いわゆる「物流の2024年問題」に突入したことになる。
ドライバー不足が深刻化し、輸送能力が低下。2024年には4億トン、2030年には
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億トンの荷物が運べなくなるとも推測されている。社会全体への影響が懸念
される一方、労働環境の改善は安全な運行を確保するうえでも避けて通れない
取り組みでもある。

千葉県匝瑳市の運送会社、菱木運送社長の菱木博一氏は10年以上前からIT
活用したドライバーの労務管理に取り組んできた。国が定めたルール通りに
ドライバーが就業するよう促す「乗務員時計」というアプリを独自に開発。
労務管理の徹底に大きな成果を上げ、「働き方改革」「DX」の優良事例として
高い評価を受けている。

先代社長の父から事業承継するのにあたって、菱木氏は「自分が安心できる
経営がしたい。先代からのお客様を裏切らない、社会的に批判されない経営が
したい」と考えた。安全な運行を確保するため、人手をかけてルールの順守を
働きかけたものの、それには限界があったという。そこで「10人が10人守れる
システムをつくろう」と開発したのが「乗務員時計」だった。

スマホにアプリを搭載すると、運転中のドライバーの乗務時間をカウントし、
休憩をとるよう注意を促す。アプリ通りの対応を最優先するようドライバーに
訴え、定着させた。その結果、月に1度はあったという事故はほぼゼロに。
労務管理の大切さを再認識したそうだ。

2024年問題」が注目されると、物流をめぐるさまざまな課題が浮き彫りに
なった。荷積み荷降ろしの待機時間もその一つ。サプライチェーン全体で対応が
必要だ。菱木氏はこうした課題の解決にも挑戦している。課題解決に向けた業界
全体での取り組みはまだ途上だ。菱木氏のような個々の取り組みだけでなく、
物流に携わる関係者が連携して知恵と技術を結集し、懸念を杞憂に終わらせる
新たな物流のシステムをぜひとも作り上げてほしい。(編集子)
 
 
  中小企業ネットマガジン(4/17号 )   
  ~忍者のまちを盛り上げる女子サッカーチーム~

三重県伊賀市は、言わずと知れた忍者の里。忍者観光の中核的な拠点である
伊賀流忍者博物館では、さまざまなからくりが施された忍者屋敷や忍者ショーが
楽しめる。忍者衣装のレンタルサービスもあり、忍者の装束を身に付けた
子供たちが町中や伊賀上野城を楽しそうに歩く姿も見られる。海外での「NINJA
ブームの影響もあり、最近は外国人客の姿も増えている。

忍者人気は忍者たちが繰り出す忍術や屋敷のどんでん返しの造作など、
派手さや奇抜さにあるようだ。しかし、歴史の中で果たしてきた役割を見ると、
時の権力者の命を受けて諸国の情報収集をするために隠密に行動する「忍び」が
本来の姿だ。こうした忍者の歴史を正しく検証するために、三重大学は「国際
忍者研究センター」を設け、その歴史的な背景や文化を発信している。

忍者の中でも女忍者は「くノ一(くのいち)」と呼ばれていた。このくノ一を
チーム名に冠した女子サッカーチーム「伊賀FCくノ一三重」は、女子サッカー
でも強豪チームとして知られる。現在はなでしこリーグ1部に所属し、昨年の
成績は3位だった。日本女子サッカーリーグの第1回大会から参加し、14回の
優勝経験があるなど、女子サッカーチームとして実力がある。ただ、このところ
大手スポンサーの離脱や観客動員数の伸び悩みという経営課題に直面していた。

取引先金融機関である北伊勢上野信用金庫が、三重県信用保証協会に協力を
仰いで経営改善コーディネーターを派遣し、経営者とともに経営課題を洗い出す
作業に取り組んだ。その中から「地域で愛されるクラブを目指す」という目的を
改めて設定し、三重県全域でのファン層の掘り起こしやジュニアチームの強化に
取り組むなど、スポンサーに依存する経営体質からの脱却に向けて取り組みを
進めている。経営改善に最も有効なのは、チームが地域にとってなくては
ならない存在になり今まで以上に多くのファンにホームグランドに足を運んで
もらうこと。ここは、「忍び」ではなく、ド派手に戦績を打ち立ててほしい。
(
編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(4/10号 )   
  ~日本人の美徳で改良した飲むあんこ

アスリートにとって重要なポイントの一つが栄養補給だ。競技中や練習中に
糖質などの栄養素を含んだ食べ物や飲み物を摂取するもので、たとえば女子
カーリング日本代表選手が試合中の「デッドタイム(栄養補給と作戦会議の
ための休憩時間)」にお菓子やフルーツなどを食べる「もぐもぐタイム」が
有名だ。

そうした栄養補給で最近注目なのがパウチ入りの飲むあんこtheANko
(ジ・アンコ)」だ。株式会社UNDERWATER(アンダーウオーター、東京都台東区)
がキノアン(木下製餡、東京都板橋区)などとともに開発・製造した商品で、
パリ五輪出場を決めたホッケー女子日本代表・さくらジャパンの主力メンバー、
永井葉月選手をはじめ、競泳や卓球、バドミントン、サッカーなど様々な競技の
トップアスリートたちが愛飲している。

学生時代に水球選手として活躍したUNDERWATERの平子勝之進代表取締役が、
ボディビルダーが栄養補給のためプラスチック容器に入れたあんこをスプーンで
食べている光景を目にしたのを機に、「飲めるようにしたら便利ではないか」
とのアイデアがひらめいた。その狙いどおり、アスリートからは「パウチ入りで
手が汚れない」「キャップ付きで少しずつ飲める」などと好評だ。味にも
こだわり、「想像していたよりもずっとおいしかった」との感想が数多く寄せ
られたという。

アスリートたちの声を受けて改良した点もある。その一つが吸い口。直径を
当初の16mmから9mmに変更した。普通の飲料と異なり、あんこは粘り気がある
ため、いくら思い切り吸い込んでもパイプ状の吸い口の途中にあんこが残って
しまい、もったいないというのだ。ならば残る量をなるべく少なくしようと
直径を小さくしたという。日本人になじみの深いあんこを使い、食べ物を粗末に
しないという日本人の美徳で改良した飲むあんこ。まさに日本選手の
サポートにもってこいの商品といえる。(編集子)
 
 
 
  中小企業ネットマガジン(4/3号 )   
  ~宇宙に羽ばたく「太陽の顔」の技術~

宇宙航空研究開発機構(JAXA)2014年に打ち上げた小惑星探査惑星
「はやぶさ2」。小惑星リュウグウに着陸し、地表の物質を採取したのち
2020
12月に地球に帰還した。このプロジェクトで「はやぶさ2」はさまざまな
世界初を達成し、世界中の関心を集めた。

「はやぶさ2」の開発には約100社の日本企業が協力している。先端技術を
持つ大手企業ばかりでなく、数多くの中小企業も携わっている。その一つが
東京都稲城市のFRP(繊維強化プラスチック)開発・加工メーカー、スーパー
レジン工業だ。軽量で高い強度を持つCFRP(炭素繊維強化プラスチック)
開発・製造を得意としており、「はやぶさ2」では、太陽電池パネルの構造体
の製造を担当した。

「初代の『はやぶさ』にも部品を供給していたが、その時は部品単位の
受注で、どこに使われているのかもわからなかった。しかし、はやぶさ2では
当初から用途が開示されるとともに受注する部品点数も増え、ある程度の組み
立ても任されるようになった」と朝倉明夫社長は胸を張る。高い精度が求め
られる人工衛星の部品を受注するため開発力・技術力を磨き上げ、日本の宇宙
産業を下支えしている。

そんなスーパーレジン工業は約50年前に開催された大阪万博で大きな貢献を
果たしている。万博のシンボルである太陽の塔の中心部にある「太陽の顔」の
製作を手掛けた。「お客様にあの顔がFRPでできていると話すと、みな一様に
驚かれる。商談のつかみになっている」と朝倉社長は笑顔をみせた。

直径12メートルにもなる巨大な「顔」。引き受け手がなく、回りまわって
創業者の渡辺源雄氏に話が持ち込まれた。頭を抱える発注元の姿を見て「一肌
脱ぎましょう」と引き受けたそうだ。創業50周年の節目にまとめられた社史には
さまざまなエピソードがつづられ、当時の苦労がしのばれた。2025年に開催
される大阪・関西万博について朝倉社長は「ぜひ何かしら携わっていきたい」
と話す。太陽の塔から宇宙へと羽ばたいた同社の技術がどんな活躍をみせて
くれるのか。期待せずにはいられない。(編集子)
 
 
 
  中小企業ネットマガジン(3/27号 )   
  ~東北に春を呼ぶ『東北福興弁当』~

東日本大震災から13年目の春を迎えた。まもなく東北各地からも桜のたよりが
届くだろう。青森の弘前公園、秋田の角館、福島の喜多方など桜の名所には、
今年も全国から桜を目当てに観光客が訪れることになりそうだ。最近は海外
からも日本の桜を見たいと、この季節に訪れる訪日客は多い。

今年はJR東京駅や仙台駅などで、一足先に東北の春を感じさせる駅弁「東北
福興弁当」が販売されている。東北福興弁当は、中小機構東北本部とJR東日本
クロスステーションが、東日本大震災からの復興に続く発展を目指す福興
(ふっこう)を祈念し、東北地方の食材を盛り込んだ幕の内弁当。震災が
起こった年から始まり、コロナ禍で販売を中止した年もあったが、今年で第12
を迎えた。累計90万食を超える駅弁のヒットシリーズ。食べることで東北の
復興(福興)を応援したいという全国の人々の気持ちが人気を支えている。

今年の東北福興弁当は、東北6県の16事業者が17品目の食材を持ち寄った。
青森のキャベツにんにく入り塩麹炒め、秋田の揚げなすとハタハタの甘辛米麹
和え、岩手の北三陸産わかめ炒り煮、宮城のたこ入りあげかまぼこ、福島の
若桃の甘露煮、山形のマッシュルーム醤油漬けなど、どれも丹精込めて
作られた逸品ぞろい。三陸産さんま煮を提供した宮城県石巻市の事業者は
「今年はサンマが不良続きで大変だが全力で確保に努めている。食品添加物を
つかわないやさしい味を楽しんでほしい」と供給への隠れた苦労を語る。

初の取り組みとして、掛け紙に英語のお品書きページに誘導する二次元
コードを掲載し、日本を訪問する外国人旅行者にも東北の魅力を発信するなど、
インバウンド需要にも対応した。弁当の掛け紙には、東北6県の名所や祭りが
色とりどりに描かれている。青森は弘前城と桜だ。東北福興弁当は桜見物への
鉄道旅で食べるもよし、自宅に持ち帰って東北への思いに浸るもよし、
さまざまな楽しみ方がある。食べることで、東北の復興(福興)に思いを
はせてもらいたい。(編集子)
 
 
  中小企業ネットマガジン(3/19号 )  
  ~シドニー五輪以来、日本代表を陰で支える物理療法機器~

◆1996
年のアトランタ五輪で最も注目されたのは女子柔道の田村(現姓・谷)
亮子選手だった。しかし決勝で無名の北朝鮮選手に敗れ、銀メダルに終わった。
その同じ日に男子柔道で金メダルを獲得したのが野村忠宏選手。出発時には、
田村選手を取材しようと成田空港に殺到した報道陣に邪魔者扱いされて
「カメラマンに突き飛ばされた」という野村選手だったが、注目度は一気に
高まった。

続くシドニー五輪で注目度を高めたのは野村選手らが持ち歩いていた伊藤
超短波(埼玉県川口市)の治療器だった。物理療法機器メーカーの同社は全日本
柔道連盟から依頼を受けて選手のコンディショニングをサポートしていた。
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回戦から決勝までを一日のうちに実施する五輪本番では、前の試合で痛めた
部位を短時間で回復させることが求められるなか、同社の治療器は選手をケア。
野村選手を含め4個の金メダル(アトランタは3個)を獲得した日本柔道を
陰で支えた。

これを機に同社の治療器は柔道界以外へも広がっていき、今では米大リーグの
前田健太投手や女子フィギュアスケートの紀平梨花選手をはじめ国内外で
活躍する多くのトップアスリートが使用している。さらに、全日本空手道連盟や
日本陸上競技連盟、日本競輪選手会といった競技団体、JリーグやBリーグの
チーム・クラブなど40以上の団体と契約を結び、治療器を提供している。

今夏のパリ五輪に出場予定の代表選手の中にも同社の治療器を愛用する
アスリートは数多い。たとえばカヌーの羽根田卓也選手や男子バレーボールの
石川祐希選手と高橋藍選手。このほか、競技団体が同社と契約している柔道や
陸上、女子ホッケーなどの代表選手も治療器を使用することになる。同社では
社員を現地に派遣するなどし、「大会でベストパフォーマンスを発揮できるよう
サポートしていきたい」(倉橋司社長)という。日本代表を陰で支える同社の
治療器の活躍にも期待したい。 (編集子)
 
 
  中小企業ネットマガジン(3/13号 )   
  ~逆境をバネにする経営力~

奈良県五條市は明治維新発祥の地といわれている。幕末の文久3(1863)
尊王攘夷派の志士たちが組織する天誅組が蜂起し、五條に新政府を立ち上げた。
「天誅組の変」と呼ばれる事件だ。挙兵は失敗に終わったが、その5年後に
明治維新が実現する。尊攘派による初めての倒幕蜂起で、地元は「明治維新の
(さきがけ)」とたたえている。

そんな歴史を持つ五條市の工業団地「テクノパーク・なら」に株式会社
エフ・エー・テックは本社を構えている。金型の設計・製造を強みとしており、
医療用を中心に幅広い企業の部品や製品を供給。経済産業省の「地域未来
牽引企業」に選定され、この地域のものづくりを先導する中核企業として期待
されている。

創業は2002年。福井一史社長に経緯を聞くと、崖っぷちからのスタート
だった。当時勤務していた会社が倒産。「住宅ローンを抱え、子供も産まれた
ばかり。身動きがとれない状態で、同僚2人と『何かしよう』と起業した」と
振り返る。勤めていた会社があった「テクノパーク・なら」を離れ、小さな
倉庫を借り、会社の設備と仕事を引き継ぐ形で事業を始めた。「いつかまた、
ここに戻ろう」。それが同僚2人との合言葉になった。

事業を始めると、会社は急成長した。携帯電話にカメラを搭載するための
金型部品の開発が軌道に乗り、受注を伸ばした。5年後の2007年に本社を移転。
をかなえた。その後、リーマンショックで倒産寸前に追い込まれたことも
あったが、そのころ参入したプラスチック成型事業は経営の大きな柱になった。
現状にとどまらず、産業用ロボットやバッテリー、新たな医療製品分野での
展開を絶えず模索している。「伸びる市場は何か、いつもいいネタを探している。
その挑戦が新たな成長を生む」と福井氏。逆境をバネにする経営力が成長の
原動力となっている。(編集子)
 
 
  中小企業ネットマガジン(3/6号 )   
  ~アトツギの悩みを共有できるのは~

社長の息子や娘として生まれた子どもは、小さいころから、「自分は将来
会社を継ぐのか、全く別の道を歩むのか」を心の片隅に置きながら成長して
いく。友達から「就職の心配をしなくていいな」とうらやましがられる言葉に
「そんなに簡単なことじゃない」と言い返したこともあるだろう。そして会社
を継ぐと心に決めると、また別の悩みが湧き上がってくる。「自分は経営者に
ふさわしい人間なのか」「従業員は自分を認めてくれるのか」「親のやって
きた事業だけでいいのか」・・・。次から次へと疑問が出てきて、眠れない
日々が続く。

そんな悩み多きアトツギ達にとって大切なのは、同じ思いを持つ同世代の
アトツギや、かつて同じ悩みを抱えながらもそれを乗り越えて立派な経営者に
なった先輩アトツギの存在だ。中小企業基盤整備機構が運営する中小企業
大学校の東京校には、経営後継者に経営者が持つべき知識やスキルや、経営者
にとって最も大事な経営者マインドを持たせることを目的とした「経営後継者
研修」があり、毎年多くの後継者候補たちが研修に参加している。

研修は10か月間にわたって実施され、研修生は会社を離れて、終日経営
スキルの獲得に取り組む。その研修の中で名物となっているのが、研修の
卒業生と現役生が一つの経営課題について徹底的に議論する「在校生・卒業生
合同研修会」だ。先日今年度の研修会が開催された。一つの班に現役生が2名と
卒業生が78名ずつが入り、合計12の班に分かれて議論がスタートした。
「経営者とは」「第二創業を進めるには、何から取り組むべきか」「従業員の
定着率はどうやって上げたらいいのか」、現役生の問いかけに対して、卒業生が
次々と見解を述べていく。いつの間にか全員が立ち上がって意見を言い合う
場面もあり、会場は熱気にあふれかえっていた。

先輩経営者はなぜこれほどまで熱心に、若いアトツギ達にアドバイスをしよう
とするのか。経営者が孤独であり、身近に相談相手がいないことの苦しさを
知っているからだろう。この研修をきっかけに、世代を超えた経営者と後継
候補者との交流が続くことも多いという。経営後継者研修は今年度で第44期と、
長い歴史を誇る。第1期の卒業生たちが経営する企業は、現在もなお、1社も
倒産することなく事業を継続しているという。(編集子)
 
 
 
  中小企業ネットマガジン(2/28号 )   
  ~コンビニより多い歯科医院、HP制作とDXで力に~

「歯医者さんはコンビニより多い」と言われる。歯科医院は厚生労働省の
調査によると67089軒(昨年11月末概数)。一方、コンビニエンスストアは
日本フランチャイズチェーン協会の調査によると55713店(昨年12月)。
実際に歯科医院の方が多い。これでは経営も大変であろう。こうした歯科医院の
力になりたいとして起業したのが有限会社イヴニングスター(浜松市)の
西谷美和社長だ。業務内容はホームページの制作。ある調査会社のまとめでは、
歯科医院など医療施設を探す際に公式HPを参考にしている人は34.2%で、
「家族や友人の口コミ」(53.5%)に次いで2番目に多い。HPは重要な決め手
となっているのだ。

西谷氏の思いは全国各地の歯科医院に通じたようで、顧客は順調に増加。
40
都道府県の数百の医院でHP制作を手掛けてきた。そして「ホームページを見た
という患者さんが増えて忙しくなりました」といった声が数多く寄せられている
という。さらには、保険適用外のインプラントや歯列矯正など、増収効果が
大きい自由診療が増加したというケースも。

ところが問題に直面した。仕事が多くなり、既存顧客のHPのリニューアルなど
一部の注文に応じきれなくなったのだ。そこで西谷氏はDXに着手。無料のアプリ
やクラウドサービスを中心に採用し、最終的には年間約252時間の可処分時間
を生みだした。それまで多忙を理由に断っていた仕事もこなせるようになり、
スタッフを増員することも多額の費用を投入することもなく、売上高が30
ほどアップしたという。

低予算で大きな成果を出せたのは同社が総勢3人の小さな会社だったからだ
という。「人数が少ないと可処分時間創出に向けて意思が統一しやすい。
DX
では小さな会社であることを強みにできる」と西谷氏。そして、顧客である
歯科医院もほとんどが小規模事業者であることから、今後は歯科医院のDX支援
も手掛けていく考えだ。(編集子)
 
  
  中小企業ネットマガジン(2/21号 )   
  ~酒蔵の歴史が培った「社員ファースト」の精神~

宮城県を代表する酒造会社として知られる株式会社一ノ蔵は1973年に県内
4
つの酒蔵が企業合同して誕生し、昨年50周年を迎えた。岩手の南部杜氏の
伝統の技を継承。等級制度にこだわらず高品質の日本酒を提供しようと1977
に販売を始めた「無鑑査本醸造」は今も根強い人気を誇っている。伝統を守り
ながら「ひめぜん」「すず音」といった新しい味わいの日本酒を提案し、業界に
新風を巻き起こしている。

全国的な知名度はブランドだけにとどまらない。残業をしない社内風土を
構築したり、特定の社員に仕事が集中しないよう「多能工化」の仕組みを取り
入れたりと、社員が働きやすい職場環境づくりを積極的に推進。最近は出産後、
復帰した社員の要望を受けて搾乳室を設けた。「働き方改革」の優良事例と
して厚生労働省が紹介するなど高い評価を受けている。

「『社員ファースト』の経営こそがわれわれの強み」と語る鈴木整社長。
社員重視の経営の原点について尋ねると、「江戸時代から続く酒蔵ならではの
労使関係にある」との答えが返ってきた。酒造りは冬に職人たちが酒蔵に
出稼ぎに来て行われる。職人は酒蔵から仕事を得る一方、酒蔵は職人がいな
ければ酒造りができない。

「『働いていただいている』『働かせていただいている』。お互いが尊敬し
合う関係が優良な経営と収益につながっている」と鈴木社長は言い切る。
家業から企業合同した今もその考え方を堅持。むしろ「働き方改革」の推進が
求められる現代こそ求められる考え方ともいえる。

働き方の提案は社員の側からボトムアップで出てくるそうで、総務部から
「当社は『社員から高い信頼を得る』ことを経営理念に掲げていますね、社長。
つきましてはこういうアイデアがあります。中小企業では難しいかもしれません
が、さわりくらいはやりませんか」と提案してくるとか。経営側の背中を押す、
そんな切り出し方からも労使の信頼関係が垣間見えてくる。(編集子)  
 
 
  中小企業ネットマガジン(2/14号 )   
  ~アジフライの聖地で事業をステップアップ~

◆長崎県の北松浦半島北東部にある松浦市は、アジの漁獲量全国一を誇る。
市は「アジフライの聖地 松浦」を宣言し、市内の飲食店で提供するアジフライ
を紹介したアジフライマップを作成するなど観光振興にいかしている。
編集子も昼食でアジフライ定食をいただいたが、お皿にドーンと乗ったアジ
フライのボリュームに驚き、食べてそのふっくらしたおいしさにまた驚いた。
2022年には同市沖で元寇船のいかりが引き上げられた。今後元寇船本体の引き
揚げも計画されており、アジフライに次ぐ新たな観光資源として期待が高まって
いる。

◆松浦市に本社を置く株式会社稲沢鐵工は、住宅用階段メーカーとして全国に
階段を供給している。同社は町の鍛冶屋として創業し、その後鉄工所を営んで
きた。しかし、下請け型事業では将来厳しいと考えた稲沢文員社長が階段
メーカーへと転身させた。同社が扱う階段は、スタイリッシュで意匠性の高い
デザイナーズ階段と呼ばれるもの。建築現場にパーツを送り、現地で階段に
組み立てることで、作業性向上や汚れが付きにくいといった特徴がある。

◆社内には若い人材がたくさん働いている。2018年に新工場と新本社を建設
するのに合わせて働きやすい社内環境を整えた。本社オフィスは1階に
たくさんの階段があり、2階にあるオフィスには、どの階段を使ってもいい
ようにしてある。その日の気分や自分の机に近い階段から上がるなど、楽しみ
ながら階段の使い勝手を確認できるように工夫している。また、女性の活用
にも熱心で、デザイナーズ階段の設計や営業で全国を飛び回る活躍をしている。

◆新事業として小型家具や家具とコラボした棚や小物製品などにも挑戦して
いる。工場には最新鋭のレーザー加工機や自動供給装置があり、生産性の高い
モノづくりを支えている。まさに、階段を1段1段上がるように、事業内容や
従業員の満足度を高める経営をしている。

◆稲沢社長は現在、中小機構の中小企業応援士に就任するとともに、松浦商工
会議所会頭も務めている。自社の事業に加え、地域や中小企業の振興にも
その手腕をふるう。「利益より存在価値を重視したい。お客様の満足、社員の
満足を高めることが成長につながる」と考え、地域における自社の役割を自覚
する。若い社員が考案したアジフライのキーホルダーは、観光客のお土産と
しても人気だ。(編集子)  
 
 
  中小企業ネットマガジン(2/7号 )   
  ~営業活動なしで大学シェアトップに、決め手は人柄の良さ~

◆取材であちこち出かけると思わぬアクシデントやトラブルに遭遇することも
ある。先日、東京から岡山県の山あいの村に向かっていた際、JR在来線で信号
トラブルが発生。新幹線で姫路駅まで着いたが、そこから先へは進めなく
なった。とりあえず取材相手に電話連絡したところ、相手は「これから車で
行きます」。なんと片道2時間もかけて姫路まで来てくれたのだ。

◆その取材相手は合同会社MAMO(マモ)の創業者、半田守氏。レスリング選手
として全国優勝の経験を持つ半田氏は、引退後に一般企業での勤務を経て、
多くのベンチャーが集う岡山県西粟倉村に移住。シングレット(レスリング
ウェア)の受注生産を手掛ける会社を2019年に立ち上げた。高い品質と洗練
されたデザインを追求したシングレットは全国各地の大学レスリング部を
中心に顧客を獲得し、創業から短期間で大学シェアのトップとなった。驚いた
ことに、半田氏は営業活動をほとんどすることなく、口コミでMAMOを知った
大学側から注文が入ってきたというのだ。

◆指導者に対する素直な態度、練習に熱心に取り組む姿勢など、半田氏の現役
時代を知る先輩や同僚らが「アイツがやっているなら」として発注すると
ともに、他のレスリング関係者にも声をかけていた、というのだ。にわかには
信じがたい話かもしれないが、取材当日に姫路まで出向いてくれた半田氏の
人柄の良さを実感できた編集子は「さもありなん」とすぐさま納得がいった。

◆MAMOは東京五輪の金メダリスト、須崎(崎は立つ崎)優衣選手も愛用して
いる。早稲田大学時代にMAMOを着用していた須崎(崎は立つ崎)選手は、
卒業後もMAMOのシングレットで試合に臨み、今夏のパリ五輪代表の座を勝ち
取った。五輪で代表選手は大手メーカー製のシングレットを着ることになるが、
パリで連覇を目指す須崎(崎は立つ崎)選手に対して半田氏は熱いエールを
送る。もちろん、編集子も須崎(崎は立つ崎)選手を応援する気持ちが一段
と高まっている。(編集子)
 
 
  中小企業ネットマガジン(1/24号 )   
  ~社員を徹底的に大切にする経営で成長~

多くの中小企業にとって経営課題となっている人手不足問題。中小機構の
景況調査(202310-12月期)によると、全産業の従業員数過不足DI3
連続で悪化し、深刻さを増している。実際、「後継者等の人材不足、協力会社
の確保が困難で、受注見送り、入札辞退になっている」「仕事はあるが熟練
技術者が不足している」など、人手不足が要因で受注拡大の好機を逃している
という経営者の悲痛な声も聞かれる。

山口県周南市で食品衛生や食品包材を手掛ける株式会社ブンシジャパンも、
8
年前まで同じ悩みを抱えていた。「せっかく採用して育てた社員が中途で
退職してしまう、会社の経営も厳しい」。当時の同社は、多くの企業と同様に、
経営の数値目標を掲げ、社員にもノルマを課していた。しかし、同業他社との
価格競争に巻き込まれ、利益は上がらず、「ボーナスが払えない時代もあった」
と藤村周介社長は振り返る。社員は疲弊し、退職していくという悪循環だった。

そこで藤村社長が悩みに悩んで導き出したのが、「人を大切にする経営に
舵を切る」ということだった。まず、数値目標を会社として作成するのを
やめた。さらに社員の評価制度も大きく見直した。社員教育に力を入れ、社員
一人ひとりがどういうスキルを持てば評価のランクが上がるのかをすべて見える
化した。顧客に対しても単に価格を提案するのではなく、企業の困りごとを
解決する付加価値型の提案を強化した。社員はノルマから解放され、自らの
創意工夫で安値でなくても受注できることを知り、働くことへの意欲にも
つながった。結果として同社の離職率は現在実質0%を達成している。

言葉で書くのは簡単だが、ここに至るまでには多くの苦難もあった。だれも
が納得する評価制度とするために改定を重ね、社員との対話にも多くの時間を
割いた。あくまで安値のみを求める取引先を失うこともあっただろう。しかし、
社長が覚悟をもって方針を貫けば、会社は大きく変わることを同社は証明した。
コロナ禍を経て同社の業績も好調だという。(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(12/13号 )    
  ~伝統文化を守り続ける襖メーカーの「行幸記念日」~

会社独自の休日といえば創立記念日が一般的だが、「行幸記念日」という
格調高い休日を設けているのが、伝統的な襖作りを手掛けるハリマ産業
(千葉県松戸市)だ。2005年(平成17年)715日、同社に天皇陛下(現在の
上皇さま)が訪問されたのを記念し、翌年から毎年715日を休日としている。

同社の大久保謙一代表取締役によると、ご訪問の数カ月前に宮内庁から
電話で連絡があったという。翌日から同社の上空を警察のヘリコプターが連日
飛行するなど、状況は一変。社内も対応に大わらわだった。とくに念入りに
準備を進めたのが陛下との懇談。当日は経済産業大臣や千葉県知事、侍従らが
同行するのだが、懇談には同行者は加わらない。「陛下と私たちだけだと
知らされ、驚いた。失礼がないよう10人ほどの従業員を選んで何度も想定問答
の練習を重ねた」(大久保氏)という。

そして迎えた当日。陛下が襖作りの全工程などを視察された後、懇談が
開かれた。緊張感がピークに達するなか、陛下は「この中で一番の年長者は
どなたですか?」とご質問。当時70歳のパート女性が答えると、「私と同じ
ぐらい古いですね」と陛下(当時71歳)。これで場の雰囲気は一気になごみ、
準備していた答えはほとんど不用になったという。

気さくにお話しする陛下はこうも発言されたという。「襖は少なくなったが、
宿泊したホテルなどに襖があると落ち着く。これからも日本の伝統文化を後世
に伝えていただきたい」。このお言葉で「腹をくくった」と大久保氏は振り
返る。それまで社内では「襖だけではだめだ」という声が事あるごとに出て
いたが、ご訪問を境に全く聞かれなくなったという。

現在、一定の売上規模を持つ襖メーカーは関東で3社、全国でも10社を
切っており、同社はその中の1社である。陛下のご訪問という栄誉を記念した
行幸記念日は、今後も伝統を守り続けようという決意のあらわれなのかも
しれない。 (編集子)

 
  
  中小企業ネットマガジン(12/6号 )   
  ~ブームに陰り経営を見直す機会に~

◆2010
年代後半に大きなブームを巻き起こした「高級食パン」。スーパーなどで
売られている一般的な食パンよりも高額だが、素材や製法にこだわり、味も
おいしい。「お金はそれほどかけられないが、ちょっとだけ贅沢したい」。
そんな「プチ贅沢」を楽しみたいという消費者のニーズを取り込み、全国的な
広がりをみせた。

埼玉県所沢市の有限会社かんながらは、2018年から高級食パン店「考えた人
すごいわ」を展開している。著名なベーカリープロデューサーがプロデュース。
東京・清瀬に一号店を出店し、全国に店舗を広げている。「小麦や塩、バター
だけでなく、高性能の浄水器を導入するなど水にもこだわって、パン作りを
している」と代表取締役の大舘誠氏。口どけの良さとコクが特徴で、トーストを
せずに生で食べるのがおすすめ。固定客の胃袋をしっかりとつかんでいる。

行列ができるほどだった「高級食パン」ブームも2020年を過ぎると陰りが
見え始めた。急激な環境の変化に大舘氏は「これから先、どうしたらいいか」
と漠然とした危機感を持っていたそうだ。そこで、所沢商工会議所の門を
たたき、経営サポートを受けることにした。

いかに経営を安定化させ、さらなる成長の足がかりをつかむかが大きな
テーマ。長期間にわたる伴走型支援を受けながら、漠然とした課題を明確にし、
自らが課題解決に取り組む。意識改革は経営者だけでなく、幹部社員たちにも
及ぶ。サポートを通じて「経営者と従業員という分け方ではなく、全員で会社を
経営するという意識を持った」と大舘氏は語っていた。

逆風のときこそ経営者の真価が問われる。同業他社の閉店が話題になる中で、
「考えた人すごいわ」は大きく店舗を減らすことなく堅実に店舗を運営して
いる。今後、イートインコーナーを併設した総合型ベーカリー店や米粉を
使ったパンを販売する新たな業態の店舗の開発にチャレンジする考えだ。
「甘い感覚が抜け切れていない中で、対応が後手に回っていた」と反省して
いたが、商工会議所のサポートは、むしろ先手を打った対策だったと感じる。
(
編集子)
 
  
  中小企業ネットマガジン(11/29号 )   
  ~羽田に新たなイノベーションの拠点~

日本の空の玄関口である羽田空港があるところは、空港が開港する前から
「羽田」と呼ばれていた。地名の由来は、川をはさんで島が左右にある様が、
鳥が翼を広げているように見えたからや、干潟を開墾した土地を墾田(はりた)
と呼んだものが転じたなど、諸説あるようだ。なんにせよ、空港をつくるのに
ぴったりの地名であることは、誰もが認めるところだろう。

羽田空港に隣接する「東京都大田区羽田空港1丁目」に先ごろグランド
オープンを迎えた「Haneda Innovation City」は、滑走路を沖合に移設した
ことに伴って生まれた跡地を利用して、官民連携で整備した大型複合施設。
先端産業と文化が融合し、分野を超えて様々なヒト・モノ・コトの交流を誘発
することをコンセプトとしている。先端医療の研究者と大田区の町工場の
エンジニアなど、従来なら交わることがなかった人々が、足湯につかりながら
自由に議論を交わす。エリア内には自動運転車が走行し、道案内はロボットが
してくれなど、近未来の日本の姿も体験できる。

編集子が訪れた時は、大田区産業振興協会による「減らす」をテーマにした
展示会が開催されていた。大田区の中小企業が「ごみの嵩を減らす」、「製造
時間を減らす」、「重量を減らす」など、何らかの「減らす」を実現できる
技術や製品を展示した。会場は減らすことに課題を抱える企業の人たちが
集まり、出展者に具体的なテーマで問い合わせをするなど、大いに賑わっていた。

羽田空港は昭和6年に民間専用飛行場「東京飛行場」として開設したのが
始まり。滑走路はわずか300メートルだった。そこから幾多の変遷を経て
世界でも有数の規模を誇る現在の姿へと変貌を遂げた。「Haneda Innovation
City
」は空港まで徒歩で行ける抜群の立地の良さを誇る。「アメリカの大学の
あの先生の話が聞きたいから、ちょっと行ってきます」と、気軽に世界に飛び
立てる気持ちにさせてくれる。ここから新しいイノベーションが生まれる
ことに期待したい。(編集子)
 
 
  
  中小企業ネットマガジン(11/22号 )   
  ~出所者の居場所づくりを続ける協力雇用主~

「過去負う者」という映画が上映されている。実在する受刑者向け求人誌の
活動をヒントに、刑務所の出所者の社会復帰という重いテーマを扱っている。
ひき逃げで10年服役した後に中華料理店で働く男性をはじめ、就職したものの
社会の不寛容という壁に突き当たる出所者の苦悩が描かれている。

日本では出所者の約半数が再び犯罪に手を染めている。その大きな要因の
一つが就労だ。周囲の偏見などから仕事に就けず、経済的に困窮したり社会的に
孤立したりする。再犯者の7割は犯行時に無職だったというデータもある。
政府は2016年、再犯防止推進法を施行し、自治体や民間企業などと連携して
出所者の就職などを支援。雇用に協力したいとする「協力雇用主」も
24000社にのぼっているが、実際に雇用している企業は5%ほどにすぎない。

そんななか「仕事に就いて収入を得られれば再犯を防げる」と考え、
更生保護に取り組んでいるのが解体工事などを手掛けるLCC株式会社
(島根県出雲市)だ。協力雇用主として登録し、現在5人の出所者を雇用
している。代表取締役の坂本裕太氏は保護司として活動しているほか、
雇用した出所者の家賃や生活費の一部を個人的に援助することもあるという。

一方で、雇用した出所者が行方をくらまし、その後、逮捕されていたことが
わかったというケースも。周囲からは「あそこはムショ帰りを雇っている」
との声も聞かれた。実際に雇用している協力雇用主が少数にとどまっている
のも、取引先など周囲の理解が得られないのが理由の一つだという。

映画「過去負う者」では、苦悩する出所者のため演劇による心理療法を
採用し、出所者が稽古を重ねて舞台公演するというストーリーが展開する。
しかし、舞台初日の観客の反応は厳しいものだった。社会復帰の前に不寛容
という大きな壁が立ちはだかっているのが現実だが、それでも坂本氏は
「出所者の居場所づくりを続けたい」と話している。(編集子)
 
 
   
  中小企業ネットマガジン(11/15号 )    
  ~超高齢社会を持続可能に~

「団塊の世代」という言葉を知っている若い世代は少ないのかもしれない。
戦後間もない1947年~1950年の第1次ベビーブームのころに生まれた世代の
ことだ。年間出生数は毎年250万人を超えていた。今の3倍の子供が生まれて
いた計算になる。高度成長期が就職時期で、働き盛りの40代にバブル期を経験。
日本の生産や消費、文化を牽引してきた世代だ。

その団塊世代が75歳以上の後期高齢者にさしかかっている。「2025年問題」
といわれ、雇用や医療、福祉など幅広い分野に影響を与えるのではないかと
懸念されている。その15年後には、団塊世代の子供たち、「団塊ジュニア」
世代が65歳以上になる。高齢者人口がピークとなる「2040年問題」が待ち
構えている。

島根県松江市で高齢者施設向け調理済み食品の製造・販売など手掛ける
モルツウェルは、「2040年問題」に向けて、高齢者の食を支える新たな
ビジネスモデルの構築にチャレンジしている。働きたい意思のある障がい者を
高齢者施設の厨房スタッフとして働けるようにする取り組みだ。

「障がいを持った人たちは、その時の精神状態によって仕事ができたり、
できなかったりする。その心の動きを『見える化』して、指導員が適切な
指導や対応ができるよう支援する」と野津積社長は説明する。障がい者就労
支援事業所などと連携し、ビッグデータとITを活用して「障がい者の気持ち
見える化システム」の開発を進めている。

モルツウェルでは、「真空調理法」で調理したメニューを全国の高齢者
施設などに届けている。食材を皿に盛り付け、再加熱するだけで健康に配慮した
美味しい料理が食べられる。障がいを持っている人でもしっかり支援をすれば、
盛り付けから配膳までワンオペレーションでこなすことができるそうだ。

「高齢者施設の厨房は働き手が少ない分野。一方で、就労支援事業所の
多くは赤字経営といわれている。この取り組みが全国に広がれば、少なくとも
3
万人の雇用を生む。自立する障がい者を増やすことができる」と野津氏。
高齢者施設の人手不足と障がい者の働く場の確保という2つの社会的課題の
解消への貢献が期待される。(編集子)
 
 
 
  中小企業ネットマガジン(11/8号 )   
  ~磐梯山に見守られ、会津でモノづくり~

磐梯山は日本百名山にも数えられる福島を代表する山だ。明治時代の大爆発で
山体が大きく変わったが、同時に五色沼などさまざまな湖沼が形成された。
今では登山客が足を止めて魅入るほどの美しい景観をみせている。あざやかな
紅葉が過ぎ、まもなく本格的な冬支度のシーズンを迎える。

会津若松市にある株式会社サンブライトの主力工場は、磐梯山が一望できる
高台の河東町工業団地にある。同社はここで、高級カメラや航空機、自動車
向けマグネシウム合金の切削加工を行っている。マグネシウムは実用金属中で
最軽量の金属だが、加工が難しい。同社は他社ができない困難な課題に挑戦し、
実績を積み重ねることで、多くの取引先から頼りにされる存在となった。

同社がこの地でモノづくりを始めたのは201112月。同じ年の3月、本社が
ある双葉郡大熊町が原子力発電所の事故で避難命令が出され、操業できなく
なった。渡邉忍社長は「再開は無理だな」と思っていたが、社員の熱意と取引先
カメラメーカーの支援、さらには会津若松市役所の強力な後押しで、震災から
わずか9か月で新工場での操業再開を成し遂げた。立ち入り禁止区域にある
本社工場から、線量計を携えた社員が機械設備を持ち出すなど、苦難の末の再開。
渡邉社長は「必ずこの会社を成長させる」と心に誓った。

同社は着実に事業の幅を広げるとともに、会津若松市の伝統工芸に従事する
企業と連携して、高級なくしを開発するなど、地域に根付いた活動も始めて
いる。本社工場は今も帰還困難区域のままだ。渡邉社長は大熊町の復興に協力
したいという気持ちは持ち続けつつも、会津でのモノづくりの継続を決めている。
本社工場から一緒に移ってきた社員も、子供たちの多くは会津で生まれ育った。
その子たちにとっては会津がふるさとだからだ。大災害に見舞われながらも
美しい姿をたたえる磐梯山に見守られ、同社は会津と大熊町、二つのふるさとを
思いながら事業を続けていく。(編集子)
 
 
 
  中小企業ネットマガジン(11/1号 )   
  ~ピアノクルマボート浜松だからこその事業展開~

先日、静岡県浜松市を訪れた際、地元・浜松商工会議所の職員からこんな
クイズを出された。「浜松アクトタワー(JR浜松駅前の高層ビル)はなんの
形をモチーフにしているか?ヒントは浜松にちなんだもの」。往年の人気刑事
ドラマ「古畑任三郎」にも登場した同ビルは確かに特徴的な外観だ。結局、
正解は出せず、「答えはハーモニカ」と教えられた。浜松には有名楽器メーカー
があり、音楽の街として知られるのだ。

その音楽の街の代表的な楽器といえばハーモニカ、ではなくピアノだろう。
ヤマハの創業者、山葉寅楠は1900年からピアノを製造。ヤマハから独立した
河合小市は1927年に河合楽器を設立した。そのため浜松周辺にはピアノ関連の
仕事を行う業者も数多い。1963年創業の原田塗装工業所(1989年に浜松市から
隣の磐田市へ移転)もそのひとつで、当初はピアノの塗装を手掛けていた。

浜松は、楽器だけでなく、バイクメーカーの創業の地としても有名だ。原田
塗装工業所もやがて二輪車部品の塗装に転換。さらに2008年のリーマンショック
後には、同じく浜松で製造が盛んな四輪車に対象を広げ、今では四輪車部品の
塗装が中心に。時代の流れとともに事業内容を変えてきている。ところが、
課題も見えてきた。二輪車と合わせて売上の9割を車部品の塗装で占め、顧客
としては自動車部品メーカー1社に7割ほどを依存しているのだ。

こうした偏りを是正するため同社は新規事業を模索。目を付けたのは船外機
だった。浜名湖に近くプレジャーボートの生産も盛んな立地条件を活用しよう
という狙いだ。コロナ禍で密を避けられるレジャーとしてボートの需要が
高まったことも追い風となり、船外機の塗装は出足好調だ。こうした事業展開が
できるのも、多くの産業が発展している浜松だからこそ。冒頭のクイズに戻るが、
ヒントを出されても「浜松にちなんだもの」が次々と頭に浮かび、さほど役に
立たなかったのが実情だ。(編集子)

 
 
  中小企業ネットマガジン(10/25号 )  
  ~鉱山を支えた技術が成長の原動力~

秋田県にはかつて多くの鉱山があった。奈良時代以前に見つかったと
伝えられる鉱山をはじめ、江戸時代には400超の鉱山があったそうだ。
金・銀・銅・鉛などのさまざまな金属がさかんに採掘された。戦後には県
北部で銅や鉛、亜鉛などを豊富に含む黒鉱の鉱床が発見され、ブームに
沸いた。黒鉱の採掘は1990年代まで続いた。

大館市で建築鉄骨や橋梁・水門などの鋼構造物の設計・製造などを手掛ける
東光鉄工は、秋田の鉱業の発展とともに成長した会社だ。創業は1938年。
東京・亀戸で建築機械を製作していたが、戦時下の1944年に大館市に疎開。
この地を拠点に事業を続けた。地元が黒鉱ブームに沸く1964年ごろから、鉱山
向けに機械設備や坑道を支える坑枠などの製造を始めた。

将来の資源の枯渇を見越し、鉱山で培った技術とノウハウを活かして積極的に
多角化を推し進めた。大きな武器となったのが、坑枠の製造に活用して
いた「冷間曲げ加工」と呼ばれる技術だ。高い熱を加えずに鋼材を曲げる
加工法で、精度が高く、高強度に仕上がる。「曲線を強調したデザイン性の
高い建造物などに利用され、取引先からは『曲げの東光』といわれるほどの
高い評価を受けている」と菅原訪順社長は胸を張った。

その技術を応用して1989年に開発した「TOKOドーム」は倉庫や格納庫、
防災シェルターなど幅広い用途に利用されている。アーチ状に曲げたデッキ
プレートを現場に持ち込み、短期間で組み立てる。柱がなく、空間を有効活用
できるところが大きな特徴だ。南極・昭和基地でも格納庫や倉庫などに活用
され、重要な社会インフラとしての存在感を高めている。

足元では、原材料やエネルギー価格が高騰。「鋼材価格は2年ほどで2
近く上昇した。値上がりのスピードがあまりに早く、見積書の作成が困難に
なるほど」と菅原社長は打ち明けた。逆風を跳ね返すため、原子力事業、洋上
風力事業、防衛産業の3分野を重点市場に据え、新たな市場開拓に取り組む。
「創造と挑戦を実践しながら100年企業を目指す」と菅原社長は意気込んでいる。
(
編集子)

 
  
   中小企業ネットマガジン(9/20号)  
  ~応援を力にして夢をかなえる~

米大リーグの大谷翔平選手は夢をかなえるために目標達成シートを活用して
いる。シート中央に目標(夢)を書き込み、達成するために必要な要素を周りに
記入するものだ。目標達成に向けてはこんな発言もしている。「ずっと目標にし、
それをチームメイトに伝えたり、紙に書いたりしていたからだと思います。
そうやって自分にプレッシャーをかけていないと努力しないので」。高校3年の
大谷選手が岩手大会で大きな目標だった時速160kmの剛速球を投げられた理由
について聞かれたときの答えだ。

大谷選手と同様、「夢を口にする、形にしてみる、話し合ってみる。それが
夢をかなえる第一歩」だと話している人がいる。山形県高畠町で菓子工房COCO
(ココ)イズミヤを経営する庄司薫氏だ。庄司氏は子どもたちの夢の実現を
応援していく「夢ケーキ」というプロジェクトに取り組んでいる。子どもたちが
自分の夢を絵に描き、パティシエと一緒に夢を描いたケーキを作ってプレゼント
するという企画だ。

出来上がった夢ケーキを囲んで子どもの夢について両親らと一緒に語り合う
ことで子どもたちの夢の実現を応援する。それが庄司氏の想いである。10年前
からイベントを始め、小学校などから依頼を受けるほどの人気イベントになった。
コロナ禍で中断したが、現在はキッチンカーを導入しており、開催依頼に対し、
より柔軟に対応できる態勢を整えている。

こうしたイベントの際に庄司氏は夢を口にすることの大切さを語っている。
ただ、自分にプレッシャーをかけるためというストイックな大谷選手とは異なり、
「夢のことを聞きつけて応援する人が出てくる」と庄司氏は話す。庄司氏自身、
夢だった新店舗建設について機会あるごとに人に話していたところ、応援する
人たちが徐々に現れた。コロナ禍もあって実現は厳しいと考えていたが、周囲の
応援を力にして「だんだんやれる気になっていった」という。その店舗は今年
12
月にオープンの予定だ。(編集子)
 
  
  中小企業ネットマガジン(8/30号)   
  ~御堂筋の一方通行も始まりは大阪万博~

大阪のキタ(梅田)とミナミ(難波)を結び、市中心部を南北に貫く御堂筋。
「雨の御堂筋」をはじめ数々の歌にも登場する大阪のメインストリートだ。
長さ4km6車線もある御堂筋は元々対面通行だったが、1970年の大阪万博が
きっかけで南行きの一方通行になった。すでに渋滞が慢性化するなか、万博が
開かれれば混雑はいっそう深刻になる。そうした事態を避けるため開幕2カ月
前の同年1月に一方通行化され、今に至っている。

御堂筋の一方通行のように、大阪万博を機に導入・普及となったものは多い。
たとえば動く歩道やモノレール、電気自動車、携帯電話など。ケンタッキー
フライドチキンはアメリカ館で日本に初お目見えし、明治ブルガリアヨーグルト
は同社社員がブルガリア館で本場のヨーグルトを試食したことがきっかけで
誕生した。大阪ではエスカレーターで左側を空けるという習慣も万博が始まり
だといわれる。

シヤチハタのインク浸透スタンプ「Xスタンパー」も万博で注目された商品だ。
スタンプ台でインクをつけることなく何度もスタンプを押せるもので、10
以上の開発期間を経て1965年に発売。当初は苦戦したが、万博で一変した。
各パビリオンが記念スタンプとして「Xスタンパー」を設置したところ、
スタンプ台不要という便利さが評判に。会期途中から設置するケースもあり
最終的には約40カ所のパビリオンで使用された。認知度は一気に高まり、万博
後には2倍、3倍と売れ行きを伸ばしていった。「出展の目的は一人でも多くの
方にXスタンパーを実際に使ってもらい、便利さを感じていただくこと」
(同社の舟橋正剛社長)。狙いはまさに的中した。

◆2025
年には同じ大阪で大阪・関西万博が開かれる。空飛ぶクルマや70年万博
にも登場した人間洗濯機など話題の出展があるが、「Xスタンパー」のように
中小企業の技術・製品が注目されるかもしれない。(編集子)
 
 
  中小企業ネットマガジン(8/16号)   
  ~経営者に一生の友となりえる出会い 中小企業大学校東京校~

日本政策金融公庫の調査によると、中小企業で後継者が決まっており後継者
本人も承諾している「決定企業」は10.5%にとどまるという。5年前の調査で
12.5
%だったのがさらに減少した。一方で「廃業予定企業」は57.4%(5年前は
52.6
%)にものぼる。衝撃的な結果で、事業承継問題に真剣に取り組まなければ、
近い将来、日本の中小企業は大幅に減少する危機に見舞われている。今や、わが
子が会社を継ぐのは珍しい時代になっている。

中小企業大学校東京校には、国の機関が実施する後継者を育成する専門コース
「経営後継者研修」がある。中小企業の後継候補となっている若者が10か月間
全日制で学ぶという全国でも珍しい育成方法を採る。学内には寮もあり、寝起きを
共にしながら、経営についてみっちりと学んでいく。研修生には担当講師が付き、
マンツーマンに近いかたちで経営者としての心構えを習得していく。

先日、第43期の研修生が研修の成果を披露するゼミナール論文発表と、終講式が
開催された。21人の研修生が、自分がこれから経営を担う会社について、課題に
基づく改善点などを披露した。どれも力のこもった力作ぞろい。発表会には、
研修生を送り出した企業の社長さんやゼミナール担当講師も参加していた。ある
社長は研修に送り出したわが子の成長に目を細めながらも、「現実の経営は
この通りにはいかない」と叱咤激励の言葉を贈っていた。印象に残ったのは、
ひとりの研修生について担当講師が講評した時のことだ。「正直に言って最初は
あなたが企業経営者になれるのか、と思っていた。それが10か月で経営者としての
自覚を持ち、向き合うようになってくれた」と、担当講師は途中から涙声になり
ながらも、その研修生の成長を評した。

◆21
人の若者はいろんな思いをもって、大学校にやってきた。中には、親である
社長から言われて来ただけ、という人もいただろう。それが、後継者の卵という
同じ立場の人間が互いに学びあい、刺激を受けあうなかで、後継候補としての
覚悟が築かれていった。その姿を見てきたからこそ、講師は涙を流したのだろう。

「経営者は孤独だ」とは、よく聞く言葉だ。厳しい経営判断を誰にも相談
できずに決断しなければならないこともある。だからこそ、同じ立場の経営者の
友人が大切だ。最終的には自分で決断するとしても、その過程の悩みを聞き、
適切なアドバイスを得られるのは心強い。今回、中小企業大学校で学んだ21人の
研修生は、経営に求められる知識だけでなく、いざという時に語り合える友を
得た。終講式で互いを思いやる姿にも、それが表れていた。家業を継ぐ決断を
する若者が減っている時代だからこそ、会社を成長に導く役割を担える経営者が
一人でも多く育ってもらいたい。(編集子)
 
 
  中小企業ネットマガジン(8/2号)   
  ~リーマンショックの逆風をてこに新事業展開~

今年3月まで放送されていたNHKの連続テレビ小説「舞い上がれ」は、モノ
づくりの街、東大阪が舞台だった。ねじ工場を経営していた父が他界し、経営を
引き継いだ母を支えるヒロインの奮闘が描かれている。リーマンショックを
きっかけにパイロットの夢をあきらめたヒロイン。事業承継やリストラ、新たな
事業へのチャレンジ、地域との調和。リーマンショック以降、多くの中小企業が直面した課題をタイムリーに取り上げていた。

ドラマが最終回を迎えて間もなく、「DXセレクション2022」グランプリを
獲得した山本金属製作所を訪問する機会があった。本社があるのは大阪市平野区。
東大阪同様、昔からものづくりの工場が集積するエリアだ。山本金属製作所は
本社周辺の廃業した工場などを居ぬきのまま買い取り、オフィスなどに利用
していた。周辺の工場がマンションや住宅に姿を変える中、そこだけが昔ながら
の町工場の風景が残っていた。どこか「舞い上がれ」の原風景の中にいるような
感覚になった。

金属部品の切削加工を手掛ける山本金属製作所は、リーマンショックの逆風を
てこに事業を拡大させた会社だ。自転車部品など下請けが主力だったが、下請け
からの脱却を目指し、センシングやモニタリング、データ分析などの技術を蓄積。
切削加工工程の「見える化」を実現した。その成果をソリューションとして他の
企業にも提供する。取引先の数は600社を超え、リーマンショック前の10倍以上
に広がったそうだ。

現在、山本金属製作所が力を入れているのが、ロボットシステムインテグ
レーション(SI)事業だ。センシングやAI(人工知能)の技術をロボットに
応用し、人がやっていたさまざまな作業をロボット1台が自動でこなす。
山本憲吾社長は「最小限の人で高度なものづくりを実現できる。ロボットやAI
活用することで、人手が足りない中小企業の事業継続が可能になる」と指摘する。
近い将来、ロボットが人手不足に悩む中小企業の救世主となる日が来るかもしれ
ない。(編集子)
 
 
  中小企業ネットマガジン(7/26号)   
  DX成功のカギは経営者にあり! フジワラテクノアート~

◆中小企業にとってDXは避けて通れないテーマとなっている。しかし、実際に
DXで成功したケースは多いとは言えないようだ。なぜなのか。過去の調査では、
中小企業でDXが進まない要因として、DX・IT人材の不足を挙げる企業が多い。
これらの要因は確かにあるのだが、さまざまな中小企業を見るなかで、やはり
DXへの認識が経営者に正しくなされていないことを痛感する。

◆DXとはデジタルで事業を変革(トランスフォーメーション)させることである。
変革が主眼で、デジタルはそのためのツールに過ぎない。しかし、DX導入が
進まない企業を見ると、デジタルツール導入に関心がいき、肝心の変革を忘れて
いることが多い。さらに、デジタル導入を社員任せにし、経営者は我関せず
というケースもある。自社をどう変革させるかを考えるのは経営者の役割だ。
わが社のDXはなぜ進まないのかと首をかしげる経営者は、DXの目的と手段を
はき違えていないのかを改めて問うてみてほしい。
 
◆岡山で清酒や醤油などの醸造食品を製造する醸造設備を受注生産するフジワラ
テクノアートは、DX導入で大きな成果をあげた代表格と言える企業だ。同社は
まず、自社の将来像を「醸造を原点に、世界で『微生物インダストリー』を
共創する企業」と掲げ、実現するためにデジタルの活用が不可欠であると位置
づけた。同社も最初はデジタルスキルのある人材はたった一人だった。しかし、
副社長を筆頭に、社内の改革意欲のある人員を集め、手探りでスタートさせた。
当初から全社員に関心をもってもらえるように、改善策を徹底的にヒアリング
することから始め、参画意欲を高めた。製造現場など、それまでのやり方を
変えることに抵抗を示す部署もあったが、副社長が自ら、なぜ変革が必要かを
現場に説いて回った。これらの努力で短期間に21ものデジタルツールを導入し、
業務の効率化や経営を見える化を実現させた。

◆全社でDXに取り組む中で、デジタル関連の資格を取得する社員が延べ21人も
誕生するなど、社内のデジタル人材の育成も自然と進んでいった。今後はAIを
活用して酒造りに欠かせない杜氏の技能伝承をサポートするシステムを開発する
など、取引先企業に役に立つことに取り組むなど、同社のDXは着実に進化して
いる。同社のケースを見ると、なぜDXに取り組むのか、経営者が社員の理解を
得られるまで何度でも説明し、取り組みの最前線に身を置くことが、DXを成功
させる第一段階と言えそうだ。(編集子)
 
 
  中小企業ネットマガジン(7/19号)   
    ~世界に発信できるブランド名「TOKYO WOOD」~

今や日本国民の4割近くが発症している花粉症。国民病ともいえる花粉症
に対して岸田文雄首相が先ごろ国として対策に本腰を入れていく方針を示し、
話題となった。そこで思い出したのは石原慎太郎東京都知事(当時)の花粉症
対策である。2005年にスギ林が多い多摩地域を公務で訪れた際、花粉症を発症
した石原氏は対策の強化を打ち出したのだ。

その内容はスギの主伐と間伐。このうち主伐は木材用に切り倒すことで、
替わって花粉の少ないスギの苗木を植えていく。この対策を円滑に進めるうえで
重要なのは伐採した木の使い道である。木材の行き場がなければ植え替えは
進まない。そこで東京都は多摩産材の活用拡大に乗り出した。学校や図書館
といった公共施設のほか、鉄道会社が駅舎の改築に利用するケースも出ている。

住宅での活用も進められている。なかでも注目されるのが小嶋工務店
(東京都小金井市)の取り組みだ。地元・東京の木材を活用した地産地消の
家づくりを進めている。手間暇のかかる天然乾燥にこだわるなど厳しい基準を
設定し、「TOKYO WOOD」としてブランド化に取り組んでいる。林業者や製材所
など関係者は当初、強く反発したが、同社の小嶋智明社長は辛抱強く説得を続け、
協力を取り付けた。

ブランド名も小嶋氏の発案だ。「多摩産材」との呼び方が普及していたが、
「東京の木を日本一のブランドにするには世界に発信できるネーミングが
必要だ」として、周囲の反対を押し切って「TOKYO WOOD」という新しい名称を
採用した。さらに社名も「TOKYO WOOD」に変更したいと希望している。「東京の
木を活用することで循環型の林業を復活させ、東京の森を守り続ける。こうした
取り組みは私一代の話ではない」と小嶋氏。そのためには個人の名前を冠した
社名はふさわしくないというのだ。いつの日にか「TOKYO WOOD」という新社名
がお目見えするかもしれない。(編集子)
 
       
    
  中小企業ネットマガジン(7/12号)     
  DXと大正時代の駅舎~

山形県の赤湯駅と荒砥駅を結ぶ山形鉄道フラワー長井線は今年、全線開通から
100
周年を迎えた。開業は大正2 (1913)。その10年後に全線が開通した。
国鉄の分割民営化の荒波を乗り越え、現在は第三セクター方式で営業している。
2
両編成のワンマン列車は路線名を表すように花柄のデザインがラッピングされ、
乗客たちの心を和ませている。

この路線には全線開通当時の駅舎が今も残っている。長井市にある羽前成田駅
は大正11年の建造で、国の登録有形文化財に登録されている。木造平屋建ての
駅舎からせり出した昔ながらの玄関ポーチ。アンティークな待合室は実に趣深い。
切符売り場や囲炉裏テーブル、振り子時計。ぼさぼさ頭の金田一耕助が
ひょっこり現れてきそうな雰囲気だ。

部品加工メーカーの丸秀(東京都大田区)は、羽前成田駅のほど近くに主力
工場を構えている。代表取締役の小林隆志氏によると、進出してから50年以上
になるそうだ。「長井は創業した祖父の出身地。長井から東京の工場に働きに
来てもらっていたが、『ゆくゆくは地元に帰りたい』と話す従業員も多く、
工場進出を決めた」という。会社の成長とともに1つだった工場は3つになった。
地元の雇用に大きく貢献。地域に根差して事業を展開する。

のどかな集落のはずれにある工場はIoTを積極的に活用し、スマート
ファクトリー化が進められている。2022年には先進的なDXの取り組みを表彰する
DXセレクション」に選出された。目標としたのはQCD(品質、コスト、納期)
の別次元への引き上げだ。汎用のソフトや機器を活用し、低コストで最大限の
効率化を実現させた。EVシフトという激変に備えた挑戦で、他の中小企業にも
大いに参考になる取り組みだ。

取材を終え、駅の待合室で1時間ほど帰りの電車を待った。時代の変化に
適応するため変化を続ける工場と、時代が止まったような駅舎。100年の歴史を
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日で旅をしたような、そんな不思議な感覚にとらわれた。 (編集子)  
   
       
 
  中小企業ネットマガジン(7/5号)     
  ~宇宙のモビリティを開発~

◆まもなく七夕。織姫と彦星は今年も無事に出会うことができるだろうか。
古の時代から、人々は遠い宇宙に思いをはせ、さまざまな物語をなぞらえてきた。
七夕の織姫と彦星の伝説は、中国が起源とされるが、今では日本のみならず、
アジアの広い国々でさまざまな言い伝えがあるという。

◆株式会社Pale Blueは「宇宙のモビリティを提供する」という大きな目標を
掲げるベンチャーだ。東京大学大学院航空宇宙工学専攻の小泉研究室にいた
メンバー4人で2020年4月に創業した。水を原料とする人工衛星の推進機と
推進剤を開発している。衛星の推進剤にはこれまで人間にとって有害であったり、
希少で高価だったりする材料が使われていた。水という安全で安価な材料が
実用化できれば、宇宙開発にとっても大きな一歩となる。

◆同社が開発した水による推進剤と推進機はすでにいくつかの衛星に搭載され、
宇宙空間で運用が始まるなど、実績を積み重ねつつある。Pale Blueの浅川純
社長は「月面基地建設や人による火星探査が計画されているが、そのためには
大量の物資を運ぶ必要があり、安全で安価な推進機と推進剤は必ず必要になる
技術」と意義を語る。現在は小型衛星用の推進機を開発するが、将来はより
大型の衛星用にも挑戦していくという。

◆地球の近傍の宇宙空間には、今でも役割を終えた人工衛星や衛星が細かく
砕かれたものが無数にあり、スペースデブリとして高速で地球上空を回っている。
人類が宇宙開発に乗り出すようになって以降、その数は増える一方だ。安全な
推進機と推進剤があれば、スペースデブリを捕らえて適切な方法で地球に
落として消滅させるという手段も講じられる。さらには、人類が宇宙旅行を
楽しむ時代になっても、宇宙の環境を守りながら、移動手段を確保することが
できる。織姫と彦星も年に一度といわず、逢いたいときに逢えるようになるかも。
(編集子)
 
   
       
     
中小企業ネットマガジン(6/28号)  
   ~現状に甘んじることなき不動産会社~

「不動産」「エステート」「地所」。これらは不動産会社の名称によく
使われるワードだ。おもしろみはないが、わざわざ「ウチは不動産会社です」
と説明する必要はない。このほかにも「ハウス」「ホーム」「ルーム」といった
ワードでも不動産らしさを出せる。こうした常識にあえて逆らい、不動産業
らしからぬ社名を付けているのが株式会社ソロン(佐賀県佐賀市)である。
「現状の不動産会社にはなりたくない」(平山浩美代表取締役)との思いから
1996
年の創業時に名付けたという。

ソロンは古代ギリシャの政治家の名前である。貴族と平民との対立が激化する
なか、債務の帳消しや民衆裁判の設置など平民寄りの改革を断行した「ソロンの
改革」で知られる。社名にふさわしく、同社ではDXで改革を行った。業務アプリ
構築クラウドサービス「kintone」を導入し、取り扱い案件の進捗状況や顧客・
不動産物件の情報などをリアルタイムで一覧できるようにした。

これらの情報を見やすくするため、社員は縦長と横長のディスプレイを使用し、
パソコンと合わせて3つの画面を自席で閲覧できる。「まるでIT企業のような
オフィスだ」と言われるそうで、社名だけでなく、社内環境も不動産業らし
からぬ様子になっている。こうした取り組みが評価され、同社は今年3月、
経済産業省のDXセレクション2023で優良事例に選定された。

「現状の不動産会社にはなりたくない」として社名を付けた平山氏には座右の
銘がある。それは、松下幸之助ら多くの偉人に語り継がれてきた名言「現状維持
は後退である」。世の中が刻々と変化するなか、旧態依然と変わらずにいると
後れを取ってしまう、という意味だ。その言葉どおり平山氏は、現状の2店舗
に加え、佐賀、福岡県内に15店舗を新たに開設する計画を抱いている。改革者
の名を看板に掲げる同社は、現状に甘んじることなく、さらなる改革を進めて
いく考えだ。(編集子)
   
 
         
    

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